詩編68:1-11
68:1 【指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。歌。】
68:2 神は立ち上がり、敵を散らされる。
神を憎む者は御前から逃げ去る。
68:3 煙は必ず吹き払われ、蝋は火の前に溶ける。
神に逆らう者は必ず御前に滅び去る。
68:4 神に従う人は誇らかに喜び祝い
御前に喜び祝って楽しむ。
68:5 神に向かって歌え、御名をほめ歌え。
雲を駆って進む方に道を備えよ。
その名を主と呼ぶ方の御前に喜び勇め。
68:6 神は聖なる宮にいます。
みなしごの父となり
やもめの訴えを取り上げてくださる。
68:7 神は孤独な人に身を寄せる家を与え
捕われ人を導き出して清い所に住ませてくださる。
背く者は焼けつく地に住まねばならない。
68:8 神よ、あなたが民を導き出し
荒れ果てた地を行進されたとき〔セラ
68:9 地は震え、天は雨を滴らせた
シナイにいます神の御前に
神、イスラエルの神の御前に。
68:10 神よ、あなたは豊かに雨を賜り
あなたの衰えていた嗣業を固く立てて
68:11 あなたの民の群れをその地に住ませてくださった。
恵み深い神よ
あなたは貧しい人にその地を備えられた。
祈り)
天の神様、私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。
少しずつ木の葉の色も色づき始め、土の上に生えている草花も少ないけれども、
なんだか温かな彩りで華やいでいます。
生きている「今」というかけがえのない時をありがとうございます。
高くなった空や夏の雲とは変わってきた雲のかたち、
少し冷たくなった風、自然の一つひとつに立ち止まる時、
たくさんのものが与えられていることに気が付きます。
そんな小さな一つひとつをも与えて下さる神様へ、心を向けることができますように。
これから語られますみ言、この語る者を通して
ここにおられるお一人おひとりへと神様、あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてをお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。
神は聖なる宮にいます。
みなしごの父となり
やもめの訴えを取り上げてくださる。(詩編68:6)
「えっ、こんなところにも神様っているの?」と私たちが思うところにも神様はいらっしゃいます。ここにはこの神様、あそこにはあの神様というように、たくさんの神様がいろいろなところにいるのではなく、どんな所にでもすべてを創造された神様は聖霊となって共におられ、共に働かれておられるのです。
10年ほど前に「トイレの神様」という歌がとても流行りました。もちろんトイレにも神様は働かれておられます。きれいに掃除をしてくれる人がいれば「ありがとう」と喜んで下さるでしょう。私は幼い頃、よくこのように言われてました。「隠れて悪い事をしたって人は見てないかもしれないけど、神様は見ておられるんだよ。だから悪いことはしてはいけないよ。」と。これは「悪いこと」もですが、「いいこと」もなのかもしれません。自分の心の中におられる神様が見ておられるのかもしれません。
しかし、今ご一緒にお読みしました「詩編68編」の中では、自分では行かないであろう所でも神様はおられると詩人は詩うのです。みなしごの父に。誰も耳を傾けることがないだろう、やもめの訴えに。そして孤独な人の傍らに。
私はクリスマスがくる度に思い出します。人が泊まることがないと思われていた家畜小屋で、イエス様はお生まれになりました。このことが教えて下さるように、私たち一人ひとりがどんなに孤独を感じる事があっても、悲しく惨めでこんなこと誰も解ってくれないし、気にも止めてくれないだろうと思うときでも、神様だけはじっと一人ひとりの傍らにおられ、一人ひとりを包んで下さっておられるのだと。
あなたがどこにいても神様が共におられます。ひとりぼっちの人は誰もいません。たとえあなたが神様を思い出せないときがあったとしても、神様は決してあなたを忘れたりしません。たとえこんな所になんて誰もいないよとあなたが思っても、神様はおられます。一人ひとりの命と共に神様はおられます。
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