しなやかさ|クリスマスに与えられる生きる力

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「今はクリスマス」と思い光を見ると、いつもよりその輝きが温かく見えて来る。しかしクリスマスの出来事(主にマタイ福音書とルカ福音書)を読むと、むしろ人々は当時の厳しい状況の中でもがき、温かさとは対極の中で生きていた姿が浮かんでくる。

「正しい人であった」(マタイ1:19)と言われるマリアの夫ヨセフ。マリアが聖霊によって身ごもった時、彼らは婚約していたものの結婚していなかった。つまり未だ彼らは同居して生活を始めていなかったのである。それなのに「身ごもっている」(同1:18)と知らされた時のヨセフは、「他の男性と関係をもった」と思い、絶望感に襲われたであろう。どうすることも出来ない現実の中、彼は「マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」(同1:19)彼の正しさとは何なのだろう。律法に従う正しさであるならば、彼は自身の正しさのゆえに堂々とマリアを離縁することはできた。しかし、「ひそかに」行うことによって、周囲からは「何故、マリアを離縁したのか」と疑問視されるだろう。やがてマリアが身重であることが知られる。すると周囲からは「結婚前にマリアを傷つけ、子を宿らせながら離縁するとは何たることだ」と非難され、最悪罪人扱いされることにもなろう。ヨセフは「律法に正しい人」としてではなく、「マリアという女性を最も愛し大切にする正しい人」であったのだ。四面楚歌の中のヨセフに、天使は「恐れず迎えること、その子にイエス(主は救い)と名付けること」を告げる。ヨセフとマリアにとって厳しい現実にも対峙する力を神は与え、「インマヌエル=神は我々と共におられる」(同1:23)とすら告げてくださったのである。クリスマスの温かさはそこにある、どんな時にも神が共にいてくださるということに。

野宿していた羊飼いたちに天使が現れる。彼らは労働してはいけない安息日にも「羊を飼う仕事」をしなければならない人々で、律法破りの罪人と同等と見做されていた。その日その日を耐えつつ生きるだけの過酷な環境の中で、天使は告げるのである、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」(ルカ2:11)と。ヨセフに告げられた「インマヌエル」が羊飼いたちにも与えられた。異邦人を代表する東方からやって来た学者たちも受け入れられた(マタイ2章)ことも含めて、まさに「全ての人」に開かれた出来事、それがクリスマスであり、温かさである。その温かさは社会と向き合い前を向いていく力を与え、「しなやかに生き力」となっていく。クリスマスに与えられるしなやかさがいつもの光を温かくみせてくれるからだと、光を見ながら思うのである。クリスマスの喜びが、あなたにも届きますように!

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