仏壇で拝む?|日本社会の中でキリスト者として生きる

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父が亡くなり母一人になった実家に帰省し、私が先ず行うことは仏壇に線香をあげ「りん」を鳴らすことであった。私が受洗することや牧師になることにも反対しなかった父は、むしろ理解者でもあった。だからといって実家の近くの教会を紹介しても、出席することはなかった。いや、出席しなかったと云った方が良いかもしれない。公務員だった父は、生家とは異なった地に終の棲家を建てたが、故郷の先祖代々の墓の維持のために仕送りを続けていた。8人兄弟の長男としての、父なりの責任の果たし方だったと思う。そんな父は牧師になった私が帰省しても、聖書の事やキリスト教のことを聞いてくることはなかったし、私も敢えて触れないままであった。

キリスト教についての会話をしないまま父は13年前に亡くなったが、それを機に母は実家に仏壇を置き拝むようになった。その結果、冒頭の帰省中の私の行為となったのである。私にとっては「仏様を拝む」というよりも、一人暮らしの母を安心させるためということが大きな理由であったが、母がそんな私をどのように受け止めていたかは、今となっては知る由もない。日本という風土の中で生きる以上、「洗礼を受けたけれども実家には仏壇・神棚がある、どうしたらよいか」という切り離せない課題に常に直面する。家の仏壇・神棚だけでなく、他宗教の葬儀に参列した時にも、どうしたらよいかと悩む方は多いかもしれない。正解は私も分からないが、聖書にひとつヒントが記されている。

列王記下5章に、ナアマン(隣国アラムの司令官)が癒された出来事が記されている。預言者エリシャ(B.C.853~B.C.793)に、重い皮膚病(聖書協会共同訳では規定の病)を「ヨルダン川で7度身を洗う」ことで癒してもらった彼は、エリシャの許に戻って次のように願う、「わたしの主君がリモンの神殿に行ってひれ伏すとき、わたしは介添えをさせられます。そのとき、わたしもリモンの神殿でひれ伏さねばなりません。わたしがリモンの神殿でひれ伏すとき、主がその事についてこの僕を赦(ゆる)してくださいますように。」(18節)それに対してエリシャは彼に(あるいは私たちに)「安心して行きなさい」と告げているのである。「神は全てをご存じなのだから、仏壇に線香をあげ『りん』を鳴らしたからと言って不信仰だと突き放すことなどない、安心しなさい」と言ってくださっているかのようである。

父は生家のお墓には入らず、私たちの教区の墓地に母と一緒に納骨させていただいた。父が「それで良い」と言ってくれるかどうかは、天国で再会するまで不明である。

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