そこに「在る・居る」|会堂から放たれる神の希望

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昨年6月、この近辺が雹(ひょう)に見舞われた。屋外に駐車していた車のボンネットがへこんでしまう程の大粒の雹であった。丁度会堂に居た私は、スレート屋根に降り注ぐ雹の激しい音に脅えながら、窓ガラスを見詰めていた。軒天が短い会堂なので、雹が直接窓ガラスに当たる確率が高く、古く薄い会堂の窓ガラスではひとたまりもないと判っていたからだ。雹が降ったのは数分間、3枚のガラスに当たりヒビが入った。風がほとんどなく掠(かす)った程度だったので、「むしろ3枚、しかもヒビだけで済んだのは幸い」と思い直した。とはいえ被害は被害、馴染の工務店に連絡すると、「以前依頼したガラス屋が廃業し、パテ止めが出来る職人がいない。見つからなければ私が時間のある時に修理します」という返事を頂けた。私もネットで探してみたが、「パテ止めガラス修理、1枚10万円」という金額に、目が点‼サッシ窓全盛の今日、パテ止めガラス窓はもはや遺跡になりつつあるらしい。だから文化財なのだけど・・・。

工務店の社長自らが修理してくださったのはヒビ割れから10か月後、今年の4月であった。補修工事から11年経っていることもあって、殆どのガラス窓のパテがはがれ始めている事、それによって窓ガラスも外れやすくなっている事等を指摘され、今後どのように保全していくかを緊急に検討することになった。そこで11年前に補修工事に携わってくださった建築家のI先生にメールしようと準備していた時、そのI先生から「しばらく伺っていないので、近々訪問して建物の様子を拝見したい」と連絡がきた。以心伝心、神のご配慮、この成り行きの判断は各自にお任せするとして、私たちの心配を親身になって受け止めでくださった。「何かあったらいつでも連絡してください」とおっしゃってくださり、「会堂に関しては、いつでもI先生が居てくださる」との思いをいただけたことは何よりの贈り物であった。最後に「(親しんだ)建物があるということで、人の希望になるんです」とおっしゃってくださった。この会堂がここに在り続ける事、それは私たちだけでなく、この地の人々にとっても希望になるのだと気付かされた時でもあった。

石を枕に寝ていたヤコブに、神は「あなたと共にいる」(創世記28章)と告げてくださり、逃亡中のモーセに神は「わたしはある」(出エジプト3章)という方としてご自身を示してくださり、許嫁(いいなずけ)のマリアが身ごもったことに悩むヨセフには、生まれる男の子は「インマヌエル(神は我々と共におられる)」と呼ばれると告げられた。「いる、ある」という神を、会堂とそこに集められた私たちはこの地の人々に告げ知らせているのだ。

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