知ってしまった!|神様は忘れてはいないことを

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後戻りできない「大切な瞬間」を子どもたちに、何より保護者に届けたいために、数分、時には十分近く掛かっても保育士たちは奮闘するのである。そんな写真撮影時のポーズに「ピースサイン」がある。20年前は殆どの子が行っていたように記憶しているが、最近少なくなったのは、ポーズにも流行りがあって、親世代がしなくなったということだろうか。ただ、私はそのポーズはしない。牧師になる前のインターンの時、名古屋の宣教師S牧師の言葉を聞いたからだ。

ある日レストランでS先生は右手にフォークを持ち、「ヨーロッパ人はナイフとフォークで食べるけど、私たちアメリカ人はフォークだけで食べる。ナイフ(剣)を持たないことを相手に知らせるために」とニコリと笑いながら私に語り掛け、続けて「ピースサインはしない、あれは戦争で勝利したしるしだからだ」と、今度は少し物悲しい顔で私に話してくださった。ベトナム戦争の記憶もまだ生々しく残っていた頃である。あの戦争の悲惨を直接間接に経験しておられたからかもしれない。戦争の末の勝利のしるしを「平和のしるし」とすることに、深い悲しみを抱いておられたのではないか。ピースサインは決して喜ばしいものではないことを知ってしまったあの時から、私は写真撮影でそのポーズをすることはできなくなった。

「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも/わたしがあなたを忘れることは決してない。」(イザヤ49:15)様々な危機的状況に置かれている女性たち、時には虐待、育児放棄等のニュースになってしまう昨今。戦争、災害等々、母を失った子どもたち。それでも神は「あなたを忘れることは決してない」と告げてくださっている。命を創り与えてくださったのは神であるのだから、「全ての命を神は忘れない」と告げておられるに等しい。その神を、私たちは知ってしまったのだ。キリスト者としての歩みの始まりがそこにあり、知ってしまった私の歩みの至る所で、「わたしの恵みはあなたに十分である」(2コリンと12:9)を実感した幸いを、心から感謝したい。

日常の繁忙さに祈りも忘れてしまうような生活であっても、訳あって教会の群れを離れてしまっていても、「忘れることは決してない」神はあなたと共にいてくださる。

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