5年振りの全国総会|共に集うことの喜び
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いよいよ今週から「新型コロナ5類対応、所謂インフルエンザと同類」となる。その結果、感染者への対応が変わり(療養期間・行動制限などは推奨、医療費の有償化)、緊急事態宣言や飲食店に対する営業時間短縮などの要請も無くなる。しかし終息した訳ではないので私たちの日常が大きく変化することはない気がする。現に「マスク着用は自由」と言われても、(私を含めて)マスクは手放せないし、対面での会話の際には自ずとマスクを着用してしまう。3年間の予防生活で身に沁みついてしまったものは、そう簡単には外れそうにない。「3年掛かったのだから、3年掛けて気持ちを元に戻そう」程度の心持ちで向き合えば良いのかもしれない。
先週、全国総会が東京教会を会場に開催された。2020年5月に予定されていた全国総会は、予期しなかった感染症により延期され、その後事務局のご尽力の甲斐もなく開催の目途すら立たなくなってしまった。あれから3年、前回の開催が2018年5月であったので、今年の開催は実に5年振りであった。「感染症が5類に引き下げられる直前だから行える」と判断したからではなく、執行部による状況判断であったことは言うまでもない。総会冒頭、前回開催後に引退された19名の教職者の紹介と新任教師4名の紹介がなされた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」(マタイ9章37~38節)との御言葉を実感させられた時であった。新任教師たちは牧師としての経験が少ない(あるいは全くない)中で、彼らを待っていたのは教職者の減少とコロナ感染症であった。希望と熱意をもって宣教の第一線に立ったのに、激務と未曽有の出来事に対応しなければならなかった彼らの労苦を思うと、教会の組織の変革が為されなければならないことを痛感させられる。ただ、感染症は様々な気付きや新しい方法を導入するきっかけを与えてくれたことも確かである。特に「共に集う」ということの大切さを教えてくれると同時に、新たな礼拝の在り方へ踏み出すことへの後押しともなった。「3年掛けて得たもの」から目を背けず、「Withコロナ」の時代の宣教を新たな視点・視座をもって取り掛かっていってくれることを願うと同時に、マスク着用ではあったものの、「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」(詩篇133:1)を体験したことも確かだった総会でもあった。
ちなみに、私自身は現任教職として最後の総会となったが、2年後に引退した後も「若い牧師たちの労の一助となる道を歩みたい」と強く感じ総会を後にした。