一瞬の出来事で人生が決まるのか!?

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10年という節目を迎えたこともあって、東日本大震災に関する特集が報道されることが多い。死者は15,899人、行方不明者は現在も2,527人、全国に4万人が避難している。今も不明家族を探している方もいるだろうし、前に進めないという方もいるだろう。被災された方々のことについては報道で知るしかないが、私たちもまた東日本大震災を経験した者として心に刻み続けなければならない。

突然の災害、予期せぬ事故、そして今のコロナ禍。報道によって私たちは多くの命が一瞬にして奪われたことを知ると同時に、私たちの「明日の命」も確かなようで実は不確かなのだと、我が身を振り返って思い直すのである。もちろん、一瞬にして奪われた命のことにも思いを馳せ、不憫(ふびん)に思えて仕方なくなる。しかし、私たちが知ることができるのは、命を奪われた一瞬のことだけである。そのことをもって、亡くなった人を、「不幸・不憫な人」と云う感情を表す言葉に括って良いのだろうか。未来は奪われてしまったけれど、その日に至るまでの日々の幸せがあったはずである。あるいはまた、遺された方にとっては、生前に家族として友人として共に生きたその人との日々が、明日に向かう力になっているのではないか。一瞬の出来事で命を奪われたからといって、第三者がその人を「不幸な人」と言ってしまうことは、その人の人生そのものを「不幸な人生」と言ってしまうことと等しい。私たちに出来ることは、一瞬の出来事でその人に何らかの形容詞を付け加えるのでなく、神様の慰めを祈ることだけなのだ。

3月は私の両親の命日でもある。2009年3月に父が亡くなった後、母は一人で住んでいた。「元気な内は自分の家が良い」と私たちとの同居は望まなかった。2017年3月、次男が卒業し結婚式を行うという二日前、母は居間で吐血して倒れている所を近所の方が見つけてくださった。家の至る所に吐血の痕があったと聞く。姉・弟そして私たちの誰もが傍にいない中で吐血しながら数時間を過ごして息を引き取ったことを思うと、申し訳なさで胸が苦しくなる。しかし、たとえ息を引き取る一瞬は「突然の吐血と孤独」であったとしても、母は決して「寂しい人」でもなかったし、「不幸な人」でもなかった。母の人生の評価は、死の瞬間で決まったのではなく、89年間という長寿を与えられた年月で「幸せな人」だったと言ってあげたいのである。

私も突然の災害や事故によって命を落とすかもしれない。でもお願いだ、「可哀そう」とか「不憫」などと言わないで、「幸せな人だった」とそう声を掛けて頂ければ幸いだ!

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