教会総会の資料|コロナ禍の記憶を遺す

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本日、教会総会が行われる。Covid-19感染症が見つかってから4回目の総会となる。この間の総会資料を読み返してみた。2020年の資料では既に感染症が拡大を始めていたにも関わらず何も触れられていない。資料作成の段階では未だニュースにも取り上げられていなかったということもあったからだろうし、総会時に感染症に触れた記憶はない。しかし総会2週間後の役員会では、2月末にコンサートを予定していたこともあって、不安を抱えつつ議論したことを記憶している。翌年の総会資料には他国のことと聞き流していたこと、否応なく巻き込まれつつあること、そして議長による「命を守るための選択」という議長声明に触れつつ、教会の苦悩の様子が記されている。更に22年度になると、終息の目途も立たない状況に加え、徐々に活動が再開されつつあると記された。そして今年、対応は3年間殆ど変わらないが、Withコロナでの宣教に移行しつつある姿を記した。これらの資料は教会年次の記録であるだけでなく、感染症に苦悩した私たちの記録であり、未来の教会が再び感染症に見舞われた時の手掛かりとなるのであろう。

1918年から1920年、所謂「スペイン風邪(H1N1型ウィルス)」が流行した時、世界で、日本で何が起こりどのように対処したのか、様々な記録を確認することができる。世界で3億人感染し、2000万~4500万人死亡(内、日本45万人死亡)した大きな出来事だが、その時、私たちルーテル教会はどのように対処したのだろうか。残念だが私の手元にある資料(ルーテル教会百年史等)では見つけることができなかったし、今回の感染症に対応するために、100年前の先達たちがどのように対処したかという話を、私の知る限り聞いたことがない。マスクや消毒の奨励があったのか、そして礼拝に対してどんな対応をしたのか、記録が皆無ということは、もしかしたら感染症に対する知識そのものがなく、教会としての対応は行わなかったという事すら考えられる。ただ、その感染の期間に、私と同じ久留米教会出身の二人の若い牧師(亀山萬里牧師、松本学明牧師)が発病急逝している。お二人はいずれも感染拡大時に、酷い状況にあった関西で働いておられたという事実がある。それが何を意味しているのかは分からないが、防疫だけでなく事実はどうだったかを、私たちは次の教会の世代ために、ひいては神の宣教のために記し伝えるべきであろう、神の出来事の記録である聖書が今の私たちを活かしてくれているように。

さて、来年の総会資料にはどんな記録が遺せるだろうか。次世代のために、Withコロナの世界で雄々しく宣教した私たちの姿を記すことができることを願っている。