遠くの友への思い
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ちょうど50年前の冬、久留米市の宣教師館のホームクリスマスパーティーに数名の青年達と一緒に招かれた。私にとっては宣教師館に行くことも外国の人と一緒にクリスマスパーティーをすることも初めてだったので、きっとワクワクして出掛けたはずである。招待してくださった宣教師はフィンランド人で信徒宣教師のK先生。奥様と二人の幼いお嬢さんの4人家族で、教会に行き始めたばかりの私にはどんな仕事をしておられるのか知る由もなかったが、物静かで優しく、教会で会うと私に穏やかな声でゆっくり語り掛けてくださるのが常だった。
さて、クリスマスパーティのことだが、残念ながら半世紀も前のこと、その時の気持ちも何をしたかもほとんど記憶にはないが、ただ一つ、鮮明な記憶が今も残っている。その日の夕方、メンバーが揃うと早速夕食が始まった。クリスマスという雰囲気は余り感じられない普通の品々が食卓に並べられ、お嬢さんたちも加えて夕食。食事が終わるとお嬢さんたちは寝室へ。それから奥様が奥からデコレートされたお皿を次々と食卓に並べていかれる。そして教えてくださった、「子どもたちは大きくなったら自分たちで豪華な物を食べられるようになる。大人の方の残りの人生は子どもたちより短いから」と。「せめて子どもたちには良い物を食べ与えて、大人は我慢する」という日本人の感覚とは逆の発想に驚いたが、フィンランドではそういうものなのだろうとそれ以上に説明を求めることはしなかった。
穏やかで質素な生活、しかしその背後にロシアの脅威に対抗するために負ってきた沢山の事柄があったこと等、その時には思いも及ばないことであった。今、フィンランドとスウェーデンがNATO(北大西洋条約機構)への加盟を正式に行った。ロシアによるウクライナ侵攻が、これまでは中立国であった両国に危機感を高めることになったからだと報道されている。ニュースを耳にしながら、半世紀前の記憶を思い出しつつ、ご存命であれば90歳近くになっておられるK先生やご家族のお気持ちを思う日々である。
パウロによる書簡は新約聖書に13書(内6書は真偽について議論がある)、信仰の土台となる多くの事が記されているが、元々は「手紙」である。パウロが各地の教会の人々を思いつつ記したものだ。遠くの友を心配し、神に執り成しをする彼の気持ちに溢れている。遠くの友へ向けられる彼の愛こそが、パウロ書簡の真髄といえるだろう。彼が伝えようとした愛を、フィンランドのあの人に、ウクライナの戦禍に苦しむ人々に、ロシアで平和を願う人々に届くようにと祈り続けたい。