シェルター
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市川教会の会堂は、2009年9月に「登録有形文化財」として登録された。建築家ヴォーリスの晩年の建物であること、築後に大きな変更がなされていないこと、設計図が現存すること等がその理由であった。当時の首都圏ニュースにも取り上げられ、多くの方に知っていただく機会となった。登録されて数日後、道で保育園卒園児とお母さんに出会った。私を見かけたお母さんが直ぐ近づいてきて、「登録のニュースを見て、この子が『ボクの教会が文化財になった!』と喜んでました」と教えてくださった。保育園在園中に、月に一回の礼拝などで教会に来ていた記憶が、「ボクの教会」という言葉になったのだろう。直接教会に来ることはなくても、人生の節々に教会を思い浮かべてくれたら嬉しいと素直に思えたものだった。
今年の3月末、卒園児たちが会堂にやってきた。毎年行っている「卒園児教会探検」のためである。今年はコロナ禍の影響もあって教会に来る機会が少なかったので、記憶に留めて欲しいと願いつつ子どもたちを迎えた。聖壇下の床下に潜り、外から眺めるだけだった会堂の鐘撞堂(かねつきどう)に上り、元気な子は梯子でしか上がれない鐘撞堂の4階に行き外の景色を楽しむ。最後に会堂後方の床板を2か所開ける。するとコンクリートの階段が目に入るが、階段途中からは沁み出た地下水が溢れているので、その先に何があるのか分からない。まさに「秘密の部屋」の存在に子どもたちも興味津々、床板に座り込んで覗き込む。「これはボウクウゴウだよ」と説明するも理解できないようだったので、「今、ウクライナというところで戦争があって、みんながシェルターに避難しているでしょう。あれと同じだよ」と言葉を足してあげたとたん、子どもたちの顔が真剣になった。
戦時中、教会の敷地は陸軍将校の家だった。それ故、コンクリートの(立派な)防空壕が造られたようである。戦後10年、この地を購入し会堂を建てることになったのだが、コンクリート造りの防空壕を解体する費用がなく、土台として利用することにしたのだという。しかし、コンクリートから地下水が沁み込んでくるため部屋としての利用は出来ず、かといって解体もできない代物になってしまっているのだが、子どもたちには「戦争」を体験させる教材となったようだ。実際のシェルターとしては利用できないが、教会の存在そのものが子どもたちにとってのシェルターとなればと願いつつ、帰園する子どもたちを見送った。
「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。」(詩編46編2節)