言い訳
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「アダムは答えた。『あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。』」(創世記3:12)アダムは「エデンの園のすべての木の実を食べてよいが、(園の中央の)善悪の知識の木からは、決して食べてはならない」と言われていたにもかかわらず、食べてしまい、風が吹く頃にやって来られた神に対して言ったのが冒頭の言葉である。「食べたのは女が勧めたからだ、その女は神様、あなたが創ったからだ、自分は悪くない」と、自分で自分を守るために責任転嫁したのだが、これこそ人類最初のそして最大の「言い訳」であり、罪の源流になった。
今、藤井風さんという若いミュージシャンが、世界から注目されている。今年、9月に横浜・日産スタジアム(自ら奏でるピアノ1台のみ)で無観客ライブを行い、世界中に無料で配信され、私も一部だが聞いて、力強いピアノと伸びがあり優しい声に魅了された。彼は2019年に音源デビューし、昨年からコンサートなどの活動を計画していたが、コロナですべてがキャンセルに。「自分の作品がいろんな人に届けられたらという思いだけがあったから、(できなかったら)それをコロナだったからと言い訳できるもんじゃない」ときっぱり!(10月14日NHK放送より)自分を通して出てきた音楽を届けたいという強い思いが、「言い訳しない」という言葉にあらわれ、実に清々しい。
今、保育園の礼拝で、ゴスペルソング「すんばらしき主エスの愛」を歌っている。「主イエスの愛は、広く、深い♪」と子どもたちも楽しそう。では何故、神の愛は「広く、深い」のか。神の愛の対象は人間である。聖書に記されている人間の歩みは、アダムに始まる「言い訳の歴史」ともいえる。アブラハムはエジプトで、美しい妻のゆえに殺されるかもしれないと恐れ、妻を妹と偽わり、滞在するための言い訳としたし、モーセはエジプトの王の所に行けと言われて、上手くしゃべることができないから行きたくないと言い訳した。ヨブもまた言い訳の末に神にたしなめられ、エレミヤは預言者として遣わされることに対して「私は若いから」と言い訳して逃れようとした。広く深い愛がなければならない程、人間は愚かで罪深く、滅びる存在であったということではないだろうか。
1年半以上続いているコロナウィルスと向き合う日々、コロナだからと言い訳してしまったことが沢山あったと思い返している。広く深い神の愛があるのだから、「コロナだから」と言い訳するのは止めないとなぁ!