「オオカミが来た!」

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3月に緊急事態宣言が解除されたものの、感染者が再び増加傾向となり、現在はまん延防止措置指定都市となっている我が市川市。そして1都2府1県へ再び緊急事態の宣言。感染に歯止めがかかる気配が感じられない。なんともやるせない。「人流増→感染増→宣言→感染減→宣言解除→始めに戻る」いつまで繰り返したら良いのだろう。そういえば、イソップに似たような話があったなぁ~。

「ある村に羊飼いの少年がいた。同じ日々の繰り返しに退屈した少年は、ある日『オオカミが来た!』と叫んだ。村人たちは大切なヒツジが襲われたら大変と、慌てて飛び出してきたが、オオカミはどこにもいなかった。少年は叱られたが、懲りずに繰り返した、『オオカミが来た!』と。ところがある日、本当にオオカミが現れた。村人は誰も信じず助けに来てくれない。結局大切なヒツジは皆食べられてしまった。」(イソップ「少年とオオカミ」要約)嘘を付いてはいけないという教えを含んでおり、一度信用を失ったら取り戻すことは困難だともいえる。一方、登場する村人たちのことを考えてみると、違った側面がみえてくる。村人たちはオオカミが襲ってくる危険性を知っていたのに、何度も「オオカミが来た!」と叫ぶ少年の声を聞いていくうちに、「オオカミは来ない」と勝手に思い込んでしまった。「オオカミがいつか来る」という危険性を少しでも思いの中に残していたら、大切なヒツジを失うことはなかっただろう。(HP:ホンシェルジュ参考)

「緊急」という言葉を使うことは滅多にない。ある程度の備えや経験が、「緊急」を回避させるからである。ましてや同じ事例に対して、「緊急」を繰り返し使うこと等あり得ない。昨年4月の「緊急」には緊張感を伴う実感があった、備えも経験も不足していたからだ。しかし今回3度目の「『緊急』事態宣言」。羊飼いの少年が現実の世界に紛れ込んできたのではないかと感じてしまうが、でもここはもう一度、村人たちの失敗に学び「巣ごもりと予防」に努めたいと思う。それが今も私たちの命と生活を支えてくださる方々への感謝の証しだからである。

聖書は神を裏切り続ける人間の歴史であるが、それ以上に「あなた方を救いたい」と手を差し伸べ続けられた神の歴史を私たちに告げている。換言すれば人間を信じ続けられた神の愛が溢れているということでもある。「信じてもらっている」という喜びがあれば、信じることを可能とさせるのだろう。羊飼いの少年も、信じてもらっているということに気付けば、ウソをつくことも羊を失うこともなかっただろうに…。

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