無秩序を愛する

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先月、母子ホームの学童クラブのクリスマス会に招かれ出席した時の事。礼拝が終わり、次はお楽しみ会。子どもたちが笑顔で楽しそうにおしゃべりする中、ケーキと飲み物が配られる。ところが飲食が始まるやいなや、先ほどまでの賑やかな会場が、瞬時に静かになった、別世界に来たかと思える程に。皆が前を向き、黙々とケーキや飲み物を口に運んでいるからだ。ほぼ2年間、「黙食」を強いられてきた子どもたちだから、たとえクリスマス会という楽しい時であっても、「飲食時の沈黙」が日常となっているために、特別な指示がなくとも「食べる時はおしゃべりしない」姿になるのだろう。だがその整然とした姿が、私にはいじらしく見え、一日も早く自由で闊達(かったつ)な、ある意味「無秩序な」子どもたちの世界を取り戻してあげなければと思えて仕方なかった。勿論その「無秩序さ」というのは、大人の考える秩序とは違うということは言うまでもないが。

子どもたちを受け入れ祝福してくださったイエスの姿が福音書に記されている。弟子たちはそれを見て叱る、つまり押し止めようとしたとある。「律法を守れない子どもたちを、イエスに近づけないようにするため」と弟子たちは考えたのだろう。しかしイエスは子どもたちを受け入れてくださった、弟子たちや社会の秩序よりも、すべてを受け入れる無限の愛であり、当時の社会からすれば「無秩序」な愛であった。でも、あるがままを受け入れてくださる姿こそ、私たちには最も心地よい場所に他ならない。

4歳と1歳の子育て中の女性の投稿記事があった。食の細い長男に何とか食べさせようと苦労が記されていたが、更に下の子が加わってからの必死な日常を次のように記ている。「さらに3歳下の娘が家族に加わったあたりから、正直いって平日の夕方の我が家はカオスだ。夕飯にお風呂などあらゆる家事をこなし、就寝というゴールテープに着々とむかっていく。時折想像する。どういう状況なら私はイライラしないのか。兄妹仲良くおとなしく座り、ご飯をこぼさず、好き嫌いもせず……。怖い、怖すぎる! そんな4歳と1歳、まるでロボットだ。床に散乱する物を器用に避けながら思う。今はこの無秩序を愛するのだ。」(1月14日朝日新聞「声」より)

密を避け、レジ前では距離を開けて静かに自分の番を待つ。マスクをして街を歩き、消毒をする。そんな「予防のための秩序」の中に2年間、私たちは否応なく閉じ込められている。それしか自分に出来ることはないからと諦めもある。しかし、「今はこの無秩序を愛する」と呟いたお母さんの声は、コロナ禍から解放される日々を待ち望む私たちの願望なのかもしれない。

もうしばらく「正しく、恐れ」て、過ごしましょう。主のお守りを祈りつつ。

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