心の中心に
「立ち帰れ、イスラエルよ」と主は言われます。 イスラエルとは国の名前でもありますが、「神に従う人々」と言う意味もあります。 ルーテル教会の礼拝の中で、皆様とご一緒に歌う 「ヌンクディミティス」の歌詞の「イスラエル」を 「主に従う民」と日本語に訳して歌っている教会もいくつかあるようです。
「立ち帰れ、イスラエルよ」と主は言われます。 イスラエルとは国の名前でもありますが、「神に従う人々」と言う意味もあります。 ルーテル教会の礼拝の中で、皆様とご一緒に歌う 「ヌンクディミティス」の歌詞の「イスラエル」を 「主に従う民」と日本語に訳して歌っている教会もいくつかあるようです。
一年も神様に一日一日を与えられて感謝致します。 やり残したことがあるように感じる方も、 いや私は今年も頑張ったなと思われる方もおられると思います。 今、ご一緒にお読みしました聖書の箇所に「自分を愛するようにあなたの隣人をも愛しなさい」と語られております。 自分を愛するとは、自分が良いと思う自分...
死んだ方の顔などに触り、そのとてつもない深い冷たさに驚いたことはありませんか? 私はあります。 死ぬってこういうことなんだなぁって、未だにその手の感触は覚えています。
私は自分を大切にしているのでしょうか、と思わず考えてしまいました。 ましてや、私はいつも「心を尽くして、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして主なる神様を大切にしている」のかな?と思いました。 でも逆に神様は、私のことを「心を尽くして、精神を尽くし、力を尽くし、 思いを尽くして、私たち一人一人...
さて、神様から憐れみを受けている人と受けていない人がいるのでしょうか? では、どうすれば憐れみを受けられるのでしょうか? たくさん祈っている人とか、誰から見ても人に親切でやさしい人だから 神様からたくさん憐れみを受けているのではないかと思われるかもしれません。 しかし、そのようなことはありません...
祈り) 天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。 この新しい目覚めも、今日出合う一つ一つのことも、 神様あなたに与...
私たち一人一人は、いつでもどんな時でもどんな場所でもできることがあります。 それは、人を思うことです。 心配することや、妬むことや、恨むこともできますが、 心の中心に神様を置いて、自分の思いを神様に委ねるのなら、 その願いや思いは、心配や妬みや恨みではなく、愛に変えられるのではないでしょうか?
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所マタイ4:23-25の最後の文章に「大勢の群衆が来てイエスに従った」と書かれています。 イエス様に従うとはどういうことなのでしょうか。 イエス様に会うことができない、現代に生きる私たちはイエス様に従っていないのでしょうか。
私は入院中、運動機能のリハビリと言葉のリハビリを受けています。 言葉のリハビリの言語療法士の先生に、私が普段やっていることをお話しすると、先生がすごく驚かれます。 私も声が出せる自分に驚くことがあります。 何の力が働くのでしょうか。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「詩編37;23-29」は 神様である私たちの主へ、一人一人が持つ信頼を詩っております。 私たち一人一人の神様への信頼は私たちから起こったものではなくて、 もうすでに神様が私たちを信頼して下さっているという安心感からの信頼です。 私たちが信頼したから神様が私たちを...