
生まれてきてありがとう
主はわたしに言われた。「イスラエルとユダの家の罪はあまりにも大きい。この地は流血に満ち、この都は不正に満ちている。彼らは『主はこの地を見捨てられた。主は顧みられない』と言っている。」(エゼキエル9:9)
主はわたしに言われた。「イスラエルとユダの家の罪はあまりにも大きい。この地は流血に満ち、この都は不正に満ちている。彼らは『主はこの地を見捨てられた。主は顧みられない』と言っている。」(エゼキエル9:9)
今まですべてのことを私は一人で乗り越えて来たんだ、と思われている方は少なくないかもしれません。そうではなく、なぜ今自分は無事でいられるのだろうかと不思議に思っておられる方もおられるでしょう。今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は「共におられる神様」を力強く私たちに詩(うた)っています。
教会で、ポスターのこんなキャッチフレーズを目にしたことがあります。「命って誰のもの?」というもので、それはどこかのキャンプで今回テーマにされるものをアピールするものでした。「命って誰のもの?」一言で「命」と言っても自分の命、植物や動物の命、光や風。私たちの周りには様々な命に溢れています。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「詩編15:1-5」にはとても完璧な行いをする人こそ神様に選ばれた者として、聖なる宮に入ることがふさわしいと詩っております。「わかってはいるけどその通りできないわ。」というのが人間です。
神様へ心を向けるとはどういうことでしょうか? 特別な修行や勉強をしなければできないことなのでしょうか。力や知識、経済力の問題ではなさそうです。それでは生まれた土地や国、時代の問題なのでしょうか。そうでもありません。特別な土地や力などがなくても神様に心を向けることができます。神様に造られたすべてが...
「あれ、今私こんな気持ちでいたんだ」と気づかされる時ありませんか?そのような時や「こんな気持ちを抱いてもいいのかな?」という時があったり。聖書の言葉は飾りません。ましてや今、私たちの読んでいる詩編はほとんどが祈りの言葉です。私たちも祈る時、言葉なんて選んでいる余裕もない時もあります。なんと祈った...
皆様の心の中心には何がありますか? 家族のことであったり友人、自分の健康のことであったり、人の数だけ考えはいろいろあります。すべての一つひとつはお一人おひとりにとって大切なものです。神様にとって大切なものはあなたです。たった一つ神様の心の中心には、かけがえのない一人ひとりの命を守ることがあります...
「毎日、『Happy Birth Day』のオルゴールが流れてくるんだ。」と、知り合いが教えてくれました。誰かから送られた花に付いていたカードからのようでした。私たちは一日一日、新しく命を与えられています。なんて言ってもピンと来ないという人も少なくないと思います。でも、そのような私たち一人ひとりとイエス様は毎日...
今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「ルカ1:26−38」は「受胎告知」の場面として多くの画家が絵の題材としている聖書の箇所としても有名ですし、幼い頃に教会に行かれておられた方にはクリスマスに必ずと言ってよいほど行われた劇ページェントでもよく使われる箇所でもあります。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「マタイ1:16」はそれまでの箇所で語られている名前の羅列の最後にイエス様がおられます。アブラハムから始まる系図の中に主イエスも記されているということです。これは神様の約束のご計画の中に、主イエスの誕生も約束されていたんだよ、という話で終わってしまうのでしょうか。