
わたしが歩く道
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所マタイ7:13において、 イエス様は「狭い門から入りなさい」と語り始めます。 なんかとても難しい事をイエス様は言われておられるのでしょうか。 いいえ、難しいことはイエス様はおっしゃいません。 ただ、この世の価値観だけに捕われてしまっていたら、 難しく感じてしまう...
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所マタイ7:13において、 イエス様は「狭い門から入りなさい」と語り始めます。 なんかとても難しい事をイエス様は言われておられるのでしょうか。 いいえ、難しいことはイエス様はおっしゃいません。 ただ、この世の価値観だけに捕われてしまっていたら、 難しく感じてしまう...
今、皆様とご一緒にお読み致しました聖書の箇所のローマ8:1-11において肉なる存在と言われている存在と、 霊なる存在と言われている存在は誰のことなのでしょうか。 それは、私たち一人一人のことです。 私たちは肉なる存在だけでも、霊なる存在だけでもありません。 肉と霊の両方からできています。
『荒れ野で叫ぶ者の声がする「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平になり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。」』ルカ3:5.6 また、すごいことをしなさい、って神様はおっしゃってるのかしら?
「おまえは嘘つきだ。さっき違うことを誓ったじゃないか」 こんな風に言われたり、人からなじられたことはありませんか。 私はあります。 幼い頃,兄弟から怒られ、最近では自分で自分自身を責めました。 こんなこと人間にはたくさんあるんだからしょうがないじゃないか、 と思う方もおられるかもしれません。 そ...
海に漁にでる漁師さんが「私は漁に行く」と言っても何の不思議はありません。 しかし、それは時と場合にはよらないでしょうか? 今、ご一緒にお読みした聖書の箇所のヨハネ21:3において、ペトロさんが言った時はまだ、 イエス様を十字架にかけて殺してしまった人々が、 イエス様の弟子だった自分たちを捕まえに来る...
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は、「最後の晩餐」と題されていて、 有名な画家の絵の題材にされたりした箇所でもあります。 聖書に書かれている通り、イエス様がいよいよ十字架に掛けられようと、 捕えられる前に最後に行った弟子たちとの夕食の場面です。 これは、今も行われている聖餐式の初まりでもあ...
さて、皆様の心の中心には何がありますか? 家族のことであったり、友人、自分の健康のことであったり、 人の数だけ考えはいろいろあります。 神様は違います。 たった一つ、神様の心の中心には、かけがえのない一人一人の命を守ることがあります。 一人一人の存在が、神様にとって大切なんです。 だから、これ...
「二つのものを一つにする」って簡単に言いますが、実は難しいことです。何か多数決で意見が多かった方に少数派が屈するとか、強い勢力に吸収合併されてしまって二つのものが一つになるとは違います。
今朝ご一緒にお読み致しました聖書の箇所には、主イエスが弟子の一人一人の足を洗う場面が語られており、それは何のためであるかをイエス様ご自身が語られておられます。 聖書の語られた時代「足を洗う」行為は、奴隷によって行われている仕事の一つでした。 舗装もされていない道を裸足に近い状態で歩いて旅をしてき...
ヨハネによる福音書の1章1節は「初めに言(ことば)があった」と始まります。イエス様が語りかけられるみ言は、聖書を読んでいる私たち一人一人に今も語りかけられています。私たち一人一人は今どこで生きているでしょうか。私たち一人一人の命はどこで誰が造ったのでしょうか。