居場所|主イエスはあなたの心の居場所
10数年前、私は夏の休暇を利用して伊勢神宮に行った。目的地は四国だったので、途中の伊勢に「ちょっと立ち寄ってみよう」程度の気持ちだった。
10数年前、私は夏の休暇を利用して伊勢神宮に行った。目的地は四国だったので、途中の伊勢に「ちょっと立ち寄ってみよう」程度の気持ちだった。
教会総会が終わった。「昨年度の私たちの働きを振り返りつつ神の支えと導きの出来事をしっかりと刻むことで、未知なる今年の歩みにも希望をいただけると確信をもって歩みだす」、教会の総会にはそのような意味がある。
本日、教会総会が行われる。Covid-19感染症が見つかってから4回目の総会となる。この間の総会資料を読み返してみた。
「作家の仕事のひとつは、『災害』の中に隠喩(いんゆ)を見つけることだ。この場合、隠喩とはすなわち普遍性である。(中略)僕たちにできるのは、しっかりと『見る』ことだ。今、何が起こっているのか。自分は何を恐れ、何に傷ついているのか。自分以外のどういう人が困っているのか。彼らを困らせている原因は何か。
2008年7月20日、市川教会は一つのチャレンジを開始した。それは「礼拝前10分を用いて聖書の通読を目指す」というもので、旧約聖書39巻929章、新約聖書27巻260章、合わせて1189章を全て読み通すのが目標であった。
2023年の歩みが始まった。ウクライナの地が戦場になるとは想像もしていなかった昨年当初だったが、その悲惨な状況は年を越しても続いている。まさか世界中が巻き込まれる感染症に襲われるとは思ってもいなかった2020年の年初、それが三年経っても明確な終息の目途も立たずに、これもまた続いている。ただし、COV...
25日の降誕日の礼拝が終わると、ツリー等は飾ったままであってもクリスマスの余韻に浸ることもなく気持ちは一気に新年へ。これが毎年のことであったが、日曜日に降誕日礼拝を守って二日後、K保育園年長児クリスマス会が行われた。
「夕べがあり、朝があった。第一の日である。」(創世記1:5)天地創造の第一日目の終わりの箇所である。神は創造の働きを六日間なさったが、その終わりには必ず、「夕べがあり、朝があった。」と記されている。
いよいよアドヴェント・キャンドル4本全てが灯される。一週目に1本、二週目は2本と灯すローソクが増える度に、クリスマス気分も高揚し、そして「いよいよ」なのである。この習慣は19世紀中ごろから始まったといわれ、「クリスマスっていつ来るの?」という子どもの質問に答えるために作ったらしい。
「保育園の降誕劇にヘロデ王は登場しない、『ヘロデ王をやりたい』という子どもはいないから」と書いたのは先週。「ヘロデ王イコール悪役」というイメージが強いし、主の降誕という状況を説明するだけなら、無理に王を登場させる必要はないということもあるだろう。