神様からの息
死んだ方の顔などに触り、そのとてつもない深い冷たさに驚いたことはありませんか? 私はあります。 死ぬってこういうことなんだなぁって、未だにその手の感触は覚えています。
死んだ方の顔などに触り、そのとてつもない深い冷たさに驚いたことはありませんか? 私はあります。 死ぬってこういうことなんだなぁって、未だにその手の感触は覚えています。
私は自分を大切にしているのでしょうか、と思わず考えてしまいました。 ましてや、私はいつも「心を尽くして、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして主なる神様を大切にしている」のかな?と思いました。 でも逆に神様は、私のことを「心を尽くして、精神を尽くし、力を尽くし、 思いを尽くして、私たち一人一人...
さて、神様から憐れみを受けている人と受けていない人がいるのでしょうか? では、どうすれば憐れみを受けられるのでしょうか? たくさん祈っている人とか、誰から見ても人に親切でやさしい人だから 神様からたくさん憐れみを受けているのではないかと思われるかもしれません。 しかし、そのようなことはありません...
祈り) 天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。 この新しい目覚めも、今日出合う一つ一つのことも、 神様あなたに与...
私たち一人一人は、いつでもどんな時でもどんな場所でもできることがあります。 それは、人を思うことです。 心配することや、妬むことや、恨むこともできますが、 心の中心に神様を置いて、自分の思いを神様に委ねるのなら、 その願いや思いは、心配や妬みや恨みではなく、愛に変えられるのではないでしょうか?
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所マタイ4:23-25の最後の文章に「大勢の群衆が来てイエスに従った」と書かれています。 イエス様に従うとはどういうことなのでしょうか。 イエス様に会うことができない、現代に生きる私たちはイエス様に従っていないのでしょうか。
私は入院中、運動機能のリハビリと言葉のリハビリを受けています。 言葉のリハビリの言語療法士の先生に、私が普段やっていることをお話しすると、先生がすごく驚かれます。 私も声が出せる自分に驚くことがあります。 何の力が働くのでしょうか。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「詩編37;23-29」は 神様である私たちの主へ、一人一人が持つ信頼を詩っております。 私たち一人一人の神様への信頼は私たちから起こったものではなくて、 もうすでに神様が私たちを信頼して下さっているという安心感からの信頼です。 私たちが信頼したから神様が私たちを...
今、ご一緒にお読み頂いた聖書の箇所 「エフェソ2:11-13」において「異邦人」という言葉が出てきます。 「ん?何だか聞き慣れない言葉だし、ちょっと差別的だな」と私は感じましたが、皆さんはどうでしょうか?
「今日は朝からイエス様のお話を聴いたから一日私は良い行いができるわ。」と張り切ったとしても、 自分の理想通りに動けなかったり、思っていたような結果が出なかったりして 「やっぱり今日もダメだったわ。」とか「私ってやっぱりダメね。」 と思ったりしたことがあるのではないでしょうか。