
その祈りは小さいのか|全ての祈りは神の前に等しい
「天のお父さま、一日(ヒトヒ)の恵みを感謝いたします。きょうも子ども礼拝に集うことができ、ありがとうございます。」
「天のお父さま、一日(ヒトヒ)の恵みを感謝いたします。きょうも子ども礼拝に集うことができ、ありがとうございます。」
集合写真、これまで何度も撮ってきたはずなのに、今年の集合写真は特別な記念写真のように感じつつ、私は最前列に座っていた。
今朝ご一緒にお読み致しました聖書の箇所に語られているイエス様のお姿は、 いつも聖書に語られている温和でやさしいイエス様のお姿とは全く違い、 激しく怒り悲しむ姿が語られています。 しかし、イエス様は決して感情的なヒステリーを起こして、 周りの人々に当たり散らしたのではありませんでした。
あの日、私は姉と弟と三人だけで、引っ越し先の前にあった保育園のブランコで遊んでいた。両親と手伝いに来た大人たちは、引っ越しの荷物を搬入するので忙しかったからである。
以前観た、住宅を紹介するテレビ番組の中でガラス張りにされたお風呂を紹介する場面があり、なんだか嫌な気持ちになりました。
久しぶりに奏楽者のいない朝礼拝となった。市川教会では午前9時から子ども向けに行われる礼拝を「朝礼拝」と位置付けている。
「こんなはずではなかったのに」と、自分が予想もしていなかった結果にびっくりしたことや後悔したことはありませんか。私たちは物事の結果に期待して、行動することが多くあります。
「東京の中心部でスーパーや鮮魚店などの移動販売車の運行が急拡大している。」そんな記事が目に留まった。
「信じる」ということは、いったいどういうことなのでしょうか。 自分の思い通りに物事が進むようになれば、信じられるのでしょうか。 自分が納得いけば信じられるのでしょうか。 逆に自分が考えもしなかったことが目の前で起こったりすると、 いくら奇跡を願っていたとしても、 逆に信じられないほど驚かされるこ...
松戸市のK保育園の今年度最初の礼拝に出掛けた。始まるのを待っていたのは3才児20名。「牧師先生が来てくれましたよ」と保育士が入室するなり声がけすると、20人の子どもたちが一斉に振り返り私の顔をジ~~ッと見詰めてくる。