マタイ受難曲のバッハはルーテル教会の人!
日本人はバッハが好き! われわれ日本人のかなり多くがバロック音楽、それもヨハン・セバスティアン・バッハ(ここでは彼をバッハと呼んでおこう)の音楽が好きなようだ。マタイ受難曲や教会カンタータ、オルガンコンサートが大きなホールを埋めるし、『バッハ全集』(小学館)の売れ行きを聞いてもそう思った。し...
日本人はバッハが好き! われわれ日本人のかなり多くがバロック音楽、それもヨハン・セバスティアン・バッハ(ここでは彼をバッハと呼んでおこう)の音楽が好きなようだ。マタイ受難曲や教会カンタータ、オルガンコンサートが大きなホールを埋めるし、『バッハ全集』(小学館)の売れ行きを聞いてもそう思った。し...
あなたは何度イエス様と出会いましたか?今日与えられました聖書の箇所「ヨハネ21:14」で、「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である」と語られます。
ヨハネによる福音書の1章1節は「初めに言(ことば)があった」と始まります。イエス様が語りかけられるみ言は、聖書を読んでいる私たち一人一人に今も語りかけられています。私たち一人一人は今どこで生きているでしょうか。私たち一人一人の命はどこで誰が造ったのでしょうか。
おはようございます。ひそかにイエス様に終わりの時の徴について聞く弟子たちに「私はあなた方一人一人と共にいて、全てを与えているじゃないか、まだわかってくれないのか。」とイエス様は言われません。ただ、「人に惑わされないように気を付
「ばっかじゃない。この人こんなに何回も使用人にひどい目にあっているのに」と思われる方も少なくないと思います。実際この聖書の箇所を読んだとき私も思いました。
「どうして私なんかのために」「私なんかそんな価値はありません」「私はあなたを知りません」そのような声が聞こえてきそうな気がします。
「○○お帰り」と言われる時に私たちはどんな気持ちになるでしょうか?ホッと安心したり。「私なんかでも待っていてくれたんだ、ありがとう。」って思ったり。なんかそれは当たり前のことに思えたり。でも、あなたの帰る場所は、あなたを待ってくれている方がおられるところにしかありません。待ってくれていると信じるか...
お祈りは手紙のようです。宛名がなければ届きません。 たとえ、どんなに心に思っていたとしても、相手にわかる言葉で、自分自身も納得して、自分が手紙を出したい相手の宛名や住所が記されないと、自分の希望する相手には届きません。
「人を殺すな」と言われたら私たちは「大丈夫。そんな犯罪は起こさないと思うわ。」と言うかもしれません。でも「人を恨むな」と言われても、自分に何が起こるかもわからない今「そんなことしません」と自信を持って言えるでしょうか。
皆さん明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。 皆さんとお読み致しました聖書の箇所「ルカ2:25-35」は新年にお読みする聖書の箇所としてふさわしい箇所です。というのはこの「シメオンの讃歌」とされている讃歌は、毎回礼拝の中で皆さんと歌う「ヌンクディミティス」そのものだからで...