忘れまい|忘れまい、あのことを!
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能登半島地震から1年が過ぎた。新年を慶びの内に迎え、共に祝おうと集っていた人々に襲った災害。被災した方々の悲しみ、その後のご苦労に心を馳せる。一日も早い復興をと思いつつ、私たちに出来る事があればという気持ちだけは失うまい。
思い出したことがある。2011年の東日本大震災の1年後、関わっていた児童施設の子どもたちが、寄付金を届けに被災地に行ってきた。翌年も同じ被災地に届けに行き、施設に戻ってきて報告会が行われた。子どもたちが開口一番に報告してくれたのは、「被災地の方々が、2年続けて訪ねてくれたことを喜んでくださったこと。『忘れないでいてくれたことが嬉しい』と言ってくれたこと」であった。子どもたちはきっと忘れないだろう、震災のことを、そして忘れないことが自分たちに、これからも出来る事なのだということを。忘れなければ、いつか出来る事を見いだせるはずだ。
一昨年の12月、ひとりのパレスチナ人の詩人が空爆で亡くなった。「もし私が死ななければならないのなら/あなたは必ずいきなくてはならない/私の物語を伝えるために(後略)」(リフアト・アルアライール・パレスチナの詩人、2023年12月空爆で死亡)彼が遺したこの詩は、多くの方々の心に響いた。生きている者が忘れずにパレスチナの惨状を物語り続ける。飽くことなきその積み重ねが、今は未だ見えないけれども、地上が平和に満たされることを実現すると信じたい。だから、私たちも今、起こっている戦災、自然災害、地球の危機を私たちは忘れずに物語ることが大切なのだと改めて心に刻む。
福音はイエス・キリストの出来事を忘れまいとした人々が、殆どは口頭で(一部は誰かがパピルスにメモをして)語り継ぎ、やがてそれが福音書となり、様々な手紙も集められて聖書となったものだ。どのような手法であれ、神の愛、すなわち神の優しさを忘れたくない人々の心の集大成でもある。
「やさしさは/このちちよりも/このははよりもとおくから/受け継がれてきた/ちまみれな ばとんなのだから」(池井昌樹『手から、手へ』〈写真・植田正治、企画と構成・山本純司〉2023年4月22日朝日新聞「折々のうた」にて紹介)血まみれの中で繋がれてきた命、そして優しさは、遠い昔のキリストの十字架からであると、私はこの詩を受け止めている。忘れまい、あのこと・そのことを、何よりも神がくださる優しさを。
良き一年となりますように祈っています。