普通の生活のすごさ

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元暴力団員で今は建設作業員として働く男性、「夜は外で寿司や焼き肉を食べていたのが、コンビニ弁当や唐揚げに変わった。『汗をかいた後のご飯はめちゃくちゃうまい。もっと早く普通の生活のすごさに気付いていればよかった。』」と。(10月8日朝日新聞朝刊より)暴力団の世界と比べるのはどうかと思いながらも、否応なく見えないウィルスの恐怖に晒(さら)され委縮して過ごしてきた自分の心は、素直にこの言葉に共感できる。この1年半のコロナウィルスと向き合う生活を通して、「普通の生活のすごさに気付かされた」という言葉に頷(うなず)く自分がいるからだ。

先週、仙台教会・鶴ケ谷教会での礼拝奉仕のために出かけ、そのまま二泊三日の休暇を頂いた。合間にリモート会議が入ったために、ほとんどホテルに缶詰状態。それでも久々の旅行に心を弾ませて出掛けた。旅行中、ホテル以外で2回外食。地元の美味しいものを食べて帰るだけのつもりで入ったのだが、久々の外食を楽しんでいると、店主に話しかけられた、「解除になってやっとお酒を出せますよ」と笑顔で。客の相手をするというよりも、なんだか客を相手に気持ちを吐き出しているといった感じだったが、日常を少し取り戻せた喜びは確かに伝わってきた。ホテルでも、日中、客室清掃の年配の男性に、「どこから来たの?」と、親しげに声を掛けられた。きっと話し好きな方なのだろうが、宣言中は「会話禁止」とでも言われていたのだろう。宣言が解除になって、話したくて仕方がないという気持ちが伝わってくるようだった。コロナ禍、第六波の心配は残っているものの、やはり「解除」は気持ちを開放的にするのだろう。飲食店の店主も、ホテルの清掃の男性も、「普通の生活のすごさ」に気付いた人たちだと思えてならない。

特別な、非日常の中で神の働きに気付かされることは多い。しかし私たちの日常は、圧倒的に「普通の生活」が占めている。「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。」(マタイ6:28~30)ありふれた、記憶にも残らないような日常の中にも、神の働きは見いだせるとイエスはおっしゃりたかったのだろう。神の働きをも見いだせる「普通の生活」は、やはり「すごい」のだ。

感染者も減少が続き、様々なイベントも条件付きで開催されるようになった。これからは「(マスク付き)普通の生活」で「すごさ」に気付く日々を送りたい。

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