心のわだかまりはなるべく減らして

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祈り)
天の神様、私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。
寒い日が続き空気はどんどん乾燥したり、暑くて湿気が多かったりします。
同じ日本でも気候が違っていたり、世界では日本とは全く反対の気候の所があります。
本当に自然の中に生きている私たち一人ひとりの存在の小ささを感じます。
しかし、その小さな存在にも余す事なく、神様は愛を注ぎ、一人ひとりの魂を大切にされます。
どんなに小さい存在でも、大きな悩みや悲しみを抱え込んで溺れそうな私たちでもあります。
それでも神様、あなたは私たち一人ひとりに丁寧に寄り添って下さいます。
そのようにしてくださる神様に心を向けて生きられますように。

これから語られますみことば、この語る者を通して、
ここにおられるお一人お一人へと、神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたへお委ね致します。

このお祈りを、主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。

アーメン。

 

【参照聖書箇所:マタイによる福音書 5章21〜26節】

しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。(22節)

 

皆さんは「許す」ということの難しさと大切さを感じられたことはあるでしょうか。「こんちきしょう、おまえなんか死んでしまえ。」と思っていた人が本当に亡くなってしまったら、言いようもない後悔や後ろめたさが残ってしまう。そのような思いをされた方もおられるかも知れません。そのような思いは意識的であったとしても無意識であったとしても、自分の心の中に残り溜まっていきます。

では、どうすれば良いのか。今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所に書かれているように、神様の前に出る前に気づけば良いのでしょうか?それは私たち人間にはとてもとても無理なことです。神様は無理をしてでもあなたの力でどうにかしなさいとはおっしゃいません。「思い出すことがあれば、できるだけのことは神様の前に出る前にやりなさい。」と神様はおっしゃいます。でも、自分では思い出せずどうしようもないこともたくさんあることは神様もご存知です。だから、そのような事がたくさんある自分さえも受け入れて下さる神様にお任せする勇気をも私たちは必要です。

「許す」ということは和解することと同じ意味です。自分との和解も、すべての人との和解も「許す」ことから始まります。たとえ、自分では許すことができない、どうしようもないことがあったとしても「私が許せない人や、許せない事があったとしても、その人やその事をも神様、あなたがお許しくださるように祈りお委ね致します。」と祈ることで、あなたが神様に赦されます。

これからの歩みが神様と共にあって、自分自身や人との和解の中を歩めますように。

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