いつもあなたを思って
今日も誰かのお誕生日です。 私たち一人一人は神様によって用いられ続け、 そして、これからも生き続けていきます。 私が「生きる」と表現しましたように、 お一人お一人を大切にしたいという『思い』が生きているのです。 その『思い』の中心になっているのは 今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「ヨハネ13...
今日も誰かのお誕生日です。 私たち一人一人は神様によって用いられ続け、 そして、これからも生き続けていきます。 私が「生きる」と表現しましたように、 お一人お一人を大切にしたいという『思い』が生きているのです。 その『思い』の中心になっているのは 今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「ヨハネ13...
今、ご一緒にお読み頂いた聖書の箇所の中で「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエスキリストを通して現れた。」と語られています。 「律法」は人間に与えられ、人間一人一人に同じ文、同じ形で与えられております。 それこそ偉い律法の学者の説明や解釈が文、 字通り守られて何年経ってもその意味は...
私たちは神様を見たことありません。 いくら聖書にイエス様のみ言が記されていたとしても、 イエス様の姿を見て確認することもできません。 そのような存在である方を信じて感じることしか、 今を生きている私たちにはできません。 でも、逆に言うのなら、 私たちは目には見えないものだからこそ、信じるしかない...
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所のヨハネ15:16で、 イエス様はこのように語られます。 「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」と。 「あれ?この言葉どこかで聞いたことがある」という言葉に、 何度か出合われたことはありませんか。
「信じる」ということは、いったいどういうことなのでしょうか。 自分の思い通りに物事が進むようになれば、信じられるのでしょうか。 自分が納得いけば信じられるのでしょうか。 逆に自分が考えもしなかったことが目の前で起こったりすると、 いくら奇跡を願っていたとしても、 逆に信じられないほど驚かされるこ...
皆さんはこんな光景を見たことありませんか? 少し混んでいるスーパーやデパートの売り場で、 迷子になって「ママー、ママー」と泣き叫んでいる子どもを。 その声をしばらくハラハラしながら聞いていると 「なーに、ここよ。」と、その子のママらしき声がすると、 にわかに泣いていたその子の顔が明るくなって泣き...
海に漁にでる漁師さんが「私は漁に行く」と言っても何の不思議はありません。 しかし、それは時と場合にはよらないでしょうか? 今、ご一緒にお読みした聖書の箇所のヨハネ21:3において、ペトロさんが言った時はまだ、 イエス様を十字架にかけて殺してしまった人々が、 イエス様の弟子だった自分たちを捕まえに来る...
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所には、 イエス様が弟子の一人一人の足を洗う場面が語られており、 それは何のためであるかをイエス様ご自身が語られておられます。 聖書の語られた時代に「足を洗う」行為は、奴隷によって行われている仕事の一つでした。 舗装もされていない道を裸足に近い状態で歩いて旅を...
今、お読みし、み言に聴いた聖書の箇所は、 教会の暦の上では「受苦日」に読まれる聖書の箇所の一つで、 十字架上のイエス様が息をひきとられる日としてその日を覚えます。 一人の人間として生きられた主イエスの「死」を 私たちはみ言によって心に刻みます。 十字架の上で息をひきとられる前の主イエスと、 その...
この挨拶が交わせる「今」というかけがえのない時は、 当たり前のことでは決してなくて、神様から与えられるあなたへの恵みです。 「今を与えて下さり神様ありがとう」と、いつも思えたら きっと、一瞬一瞬がかけがえのない大切なものであると 感じて生きていけるんだろうなぁって思います。