
あなたがた一人一人の全てを私が選んだ
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所のヨハネ15:16で、イエス様はこのように語られます。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所のヨハネ15:16で、イエス様はこのように語られます。
私たちは神様を見たことありません。いくら聖書にイエス様のみことばが記されていたとしても、イエス様の姿を見て確認することもできません。
皆さんはこんな光景を見たことありませんか?少し混んでいるスーパーやデパートの売り場で、迷子になって「ママー、ママー」と泣き叫んでいる子どもを。
あなたは何度イエス様と出会いましたか?今日与えられました聖書の箇所「ヨハネ21:14」で、「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である」と語られます。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所には、イエス様が弟子の一人一人の足を洗う場面が語られており、それは何のためであるかをイエス様ご自身が語られておられます。
今、お読みし、みことばに聴いた聖書の箇所は、教会の暦の上では「受苦日」に読まれる聖書の箇所の一つで、十字架上のイエス様が息をひきとられる日としてその日を覚えます。
「あなたから言葉は決してとられない。」この言葉は何年も前、病院の診察で私がお医者さんに言われた言葉です。
この挨拶が交わせる「今」というかけがえのない時は、当たり前のことでは決してなくて、神様から与えられるあなたへの恵みです。
愛の反対語は無関心です。と言われた方がいました。ふーん憎しみじゃないのか。と少し思いました。
「信じる」ということは、いったいどういうことなのでしょうか。 自分の思い通りに物事が進むようになれば、信じられるのでしょうか。 自分が納得いけば信じられるのでしょうか。 逆に自分が考えもしなかったことが目の前で起こったりすると、 いくら奇跡を願っていたとしても、 逆に信じられないほど驚かされるこ...