
あなたのために
え、ユダがわざわざ合図をしなければイエス様ってわからなかったの。」この聖書の箇所を読む度に私は思いました。初めてみことばにであわれる方も「イエス様って、そんなにいつもご自分の身を隠されておられたのかしら」「イエス様の正体を暴くために、ユダは合図を決めたのかしら」と思う方も少なくないと思います。...
え、ユダがわざわざ合図をしなければイエス様ってわからなかったの。」この聖書の箇所を読む度に私は思いました。初めてみことばにであわれる方も「イエス様って、そんなにいつもご自分の身を隠されておられたのかしら」「イエス様の正体を暴くために、ユダは合図を決めたのかしら」と思う方も少なくないと思います。...
父なる神様の望んだことは、子なる神様である主イエスキリストによって成し遂げられるって、成就するってことなんですね。
「誰にお願いしてるの?」と思いたくなるほど、すごい言葉遣いだなぁって思うのは私だけでしょうか。それほど、この祈りを祈っている詩人は切羽詰まっているのでしょうか。そう思うと同時に、この詩人にとって神様が本当に身近で、いつも傍に神様を感じているのだろうなと羨ましくもなりました。
「こんな私は生きてていいのだろうか。」そのような問いがあふれてくる時があるのは私だけでしょうか。あれもできない、これもできなくなった、何も役に立たない私なんかがどうして生きているんだろう。と。
イエス様が弟子たちへと語られていることは、今、聖書を読んでいる私たち一人一人にも語られています。「〜してはならない」禁止事項ばかりで堅苦しく感じてしまうようにも読めます。「イエス様はやっぱり厳しいときもあるのかな」っと少しがっかりするような。「いやいや、弟子たちを派遣されるのだからこのくらい厳し...
「こんなはずはなかったのに」と自分が予想もしていなかった結果にびっくりしたことや後悔したことはありませんか。
「おまえは嘘つきだ。さっき違うことを誓ったじゃないか」こんなふうに言われたり、人からなじられたことはありませんか。私はあります。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は「最後の晩餐(ばんさん)」と題されていて有名な画家の絵の題材にされたりした箇所でもあります。聖書に書かれている通り、イエス様がいよいよ十字架に掛けられようと捕らえられる前に行った弟子たちとの最後の夕食の場面です。これは今も教会で行われている聖餐式の初まりで...
私たちが今生きている世界って、とてもとても大きく感じることもあれば、とても小さく感じることもあります。自分自身の存在もとても大きく見えたり小さく感じたりします。
皆さんのイエス様のイメージっていったいどんなでしょう。お一人おひとりがお持ちになられているイメージの細かい所は違っていても、だいたい同じで穏やかで優しい方というイメージが大半ではないでしょうか。ところが今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所においては、ほとんどの方のイメージとは違って神殿の中で商売...