私がいつも帰るところ
祈り)
天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
朝晩の気温が低かったり暑かったり。布団の中で感じるような小さな温度の変化が与えられています。
このようなことと同じように、私たちは歳を重ねてきて小さな時にはできなかったことが、
大きくなってできるようになったり、できていたことができなくなっていったり、
いろいろな自分と出会い、いろいろな思いを持ったりします。
でも失っていくものばかりのことを悲しむのではなく、
布団の中で感じる小さな温度の変化のように、今、自分に与えられているものを感じる心を今日も与えて下さい。
これから語られますみことば、この語る者を通して、
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。
【参照聖書箇所:詩編71編14〜24節】
ひるがえって、わたしを力づけすぐれて大いなるものとしてくださるでしょう。(21節)
今もこのようにして皆様と心を合わせて聖書のみ言から聴く時を与えられました事を嬉しく思い感謝しております。神様にそして皆様に感謝したいと思います。
さて、今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所の中の「詩編71:21」において詩人はこう詩っております。「ひるがえって、わたしを力づけ...」と。「翻る」と「振り返る」って何が違うのか。そのようなことを思い、私は国語辞書を何年かぶりに開いてました。皆様はどう思われますか?辞書には「翻る」は飛んで振り返るとか喜んで振り返る様、「振り返る」は反対を向くなどと書いてありました。
神様は私たち人間に喜んで向き合って下さるのです。祈りが詩われたり、私たちが祈る時、いかにも私たちが待っているかのように祈られますが、
実は私たちが祈る前から、神様が私たちの心が神様へと向けられる事を待っておられるのではないかと思いました。「振り向く」という言葉は「私が気づいて振り返ること」をいいますが、神様が私に翻ると表現される言葉は「私たちが神様に気づき、心を向ける時、神様は喜んで私たち一人一人と向き合う」と解釈ができます。私たち一人一人の心が、ご自分へ向けられることを神様は待っておられます。
そして一人一人の祈りに翻って、一人一人を力づけて下さいます。