わたしはいつもあなたと共にいるから

祈り)
天の神様、私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。
花の匂いや季節の香りは、いろんな思い出を私たちに運んでくれます。
その思い出は一人ひとり違うものですが、すべての人が今を生きている証しです。
私たち一人ひとりが、神様あなたに命を与えられて今を生かされていることに、感謝できますように。

これから語られますみ言、この語る者を通して今、み言から聴くお一人おひとりへ、
そして、お一人おひとりの心にあるお一人おひとりへと神様あなたがお語り下さい。この語る者のすべてを、神様あなたへお委ね致します。

このお祈りを、主イエスキリストのみ名によってみ前にお捧げ致します。
アーメン

【参照聖書箇所:イザヤ書53章1〜5節】
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。(4節)

悲しすぎたり驚いた時、人間は泣けない時があります。しかし、みことばに向き合う時、今イエス様が私の悲しみや苦しみ、痛みも共に担って下さっておられることに気付くと、不思議と心の不安や悲しみを洗い流してくれるかのように涙が流れます。そうです。イエス様は共におられるのです。今、あなたと。たとえ、あなたにとってはなんでもない日に思える時でも、悲しみや苦しみに襲われる時でも、イエス様は共におられるのです。悲しみや苦しみがあなたに降り掛かった時だから、イエス様が寄って来るのではなく、いつも共におられるのがイエス様です。ただ、私たちが気付かないだけなのです。

「病気になると、変な宗教の人が寄って来るのよね。」と病院で入院するとよく耳にします。イエス様は違います。いつもあなたと共にいます。ただ、姿を見ることはできません。きっと感じることはできます。あなただけが気付くいてあげることができます。

イエス様は必ずあなたと共におられるから。