あなたはわたしの愛する子

マタイ1:16
​ ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
  

祈り) 天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
涼しくなってきました。今年ももう、半分を過ぎ、後ろから数えた方が早いくらいの月になりました。
私たちはたくさんの見えない存在と見える存在の中を生きています。
寒くなれば「冬」という名前をつけて呼び、一年を暦というかたちにして数えたりします。
感じたり思ったり、私たちは今を、たくさんの見えない存在と見える存在と一緒に生きてます。
そして、大きな宇宙から見れば点のような存在である私たち一人ひとりを、神様は大切に愛して下さいます。
私たち一人ひとりが、神様に愛されている命を精一杯生きることができますように。

これから語られますみ言、この語る者を通して、ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてをお委ねいたします。

このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。

アーメン。

ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。(マタイ1:16)

今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「マタイ1:16」はそれまでの箇所で語られている名前の羅列の最後にイエス様がおられます。アブラハムから始まる系図の中に主イエスも記されているということです。これは神様の約束のご計画の中に、主イエスの誕生も約束されていたんだよ、という話で終わってしまうのでしょうか。

私たちは血のつながりや民族、血統にこだわりを持つことがあります。国の違いで差別を受けたり、住んでいる地域で差別されたり。そういうことを大事にして排他的になりなさいと神様はおっしゃっておられるわけではありません。

神様は「約束」を大切にされます。旧約的に言うのなら「契約」でしょうか。人間と神様の間には、契約ゆえの神様からの慈しみがあります。慈しみというのは愛するという事とも言えます。「だから何かをしなさい」と神様は言われません。

今、私たち一人ひとりに与えられている約束は、神様が私たち一人ひとりを愛するということだけです。その間には私たち人間が作った、民族や血統の違いは必要ありません。なぜなら、すべての人間一人ひとりは神様に造られているからです。一人ひとりの命は繋がっています。一人ひとりの命は神様に愛されて存在しています。その繋がりの中に愛である主イエスキリストが誕生されました。