あなたに関心があるから
祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
そして、神様あなたに心を向けてお一人おひとりがあなたを思い祈る
今があることを感謝いたします。
明日がある。今日がある。今がある。
これらは当たり前なのでしょうか。
決して当たり前ではなく、神様あなたから与えられる「時」であることを感謝できますように。
私たち一人ひとりの心をいろいろな思い煩いの中へではなく、神様あなたへと開かせて下さい。
これから語られますみ言、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈りいたします。
アーメン。
「私はあなたを愛しています。」といきなり言われたら、なんだか照れくさくなって、急にその人が気になったり、「うっそー」と否定したくなったり、「本当?」って疑ってみたり、「ありがとう。その言葉待ってたわ」といろいろな反応があるかもしれません。
では「あなたは私にとって一番大切な存在です。」と言われたらどうでしょうか?
この言葉は私たち一人一人に誰が言って下さるのでしょうか。
それは神様です。
「愛」という言葉には親の愛や兄弟愛、友情と言われる愛のかたちや、男女の愛、たいていの愛はどこかで多少なりとも駆け引きがあったり条件があったりします。しかし、神様からの愛は無条件です。そして、神様は全ての一人ひとりに関心を持たれてます。
無関心や無関係の間柄では、注意することもありません。「ケンカするほど仲がいい」と言われますが、無関心や無関係の間には注意すらされないことが多いのです。だからと言って、愛しているから注意をするとも限りません。一緒に生活もしてれば腹が立つこともあるでしょう。しかし、どうでもいいと思って相手を注意するのと、信頼を持って相手を注意するのとでは違いがあります。
今、ご一緒にお読みいたしました聖書の箇所「詩編50:23」には「わたしは神の救いを示そう」と詩が終わっています。たくさん神からの災いや報いが詩われていますが、すべてを信頼されておられるからこそ、そして一人ひとりを愛されておられるからこそ、神様からの忠告が詩われています。
神様はすべての一人ひとりを大切にされ、一人ひとりに無関心ではおられません。
なぜならすべての一人ひとりを愛されておられるからです。