少しずつ季節は春に向かって変わって来ています。「砂も地球のかけらなんだ」と、そんなひと言が心に響いて来ます。私たちは日常の様々なことにいろんな感情を抱き、悩んだり、悲しんだり、喜んだりします。その一つ一つは命が与えられている今があるからこそ与えられる感情です。春を迎えようとしている木々の命溢れる姿や、砂の一粒一粒のような小さな存在にさえも命を与えて下さる神様に心を向けて、一瞬一瞬を歩んで行けますように。
これから語られますみ言、この語る者を通してここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。神様あなたに全てをお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン
「○○お帰り」と言われる時に私たちはどんな気持ちになるでしょうか?ホッと安心したり。「私なんかでも待っていてくれたんだ、ありがとう。」って思ったり。なんかそれは当たり前のことに思えたり。でも、あなたの帰る場所は、あなたを待ってくれている方がおられるところにしかありません。待ってくれていると信じるから、帰ることができます。家にお母さんが待っているから。子どもが待っているから。待っている方(ほう)も帰って来ることを信じています。
神様も同じです。あなたを待っておられます。「何かをしでかしたから、その罪を償ってからじゃないと帰って来るな」などと神様は条件をつけません。どういう生き方をしていても、どのような状態にあっても、あなたが神様を思い起こしたのなら、神様があなたを信じて待ってて下さることを思い起こします。
あなたのことは神様が一番ご存知なのです。なぜなら、神様があなたを信じて下さっているからです。自分で自分自身さえも信じられない。辛く悲しいどうしようもないときでさえ、神様はあなたを信じておられます。
私たちに何ができるでしょうか。何もできなくていいのです。神様があなたを通して証されます。あなたは神様から信じられています。あなたは何度でも神様のもとへ帰ることが許されています。
神様はいつでも「○○お帰り」と言って、一人一人全ての人を抱きしめて下さいます。