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​ 6:1 「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。 6:2 だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。 6:3 施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。 6:4 あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」
  

祈り)
天の神様、私たち一人一人に新しい命、そして新しい目覚めをありがとうございます。
私たちは心を誰に向けて祈るのでしょうか。
全てを創造し、この私や世界全ての一人一人を造られ命を与えて下さっている神様に心を向けて祈ります。
しかし、この世の中に生きている私たちの現実は、
いろいろな価値観や感情、思いに溢れています。
時や場合によっては、
それらの価値観や感情が
人の価値を決めてしまう時があります。
一人一人の「命」は神様、あなたによって造られ、
あなたによって与えられています。
「おまえなんか」とたとえ誰かに言われても、
たとえ自分自身が自分の生きている価値を見失っても、
神様、あなたに必要とされ今を生かされていることを思い起こせますように。
そして出会うお一人お一人も自分と同じように
神様、あなたに必要とされ、
今を生かされている存在であることを思い起こせますように。

これから語られます神様あなたからのみ言、この語る者を通して
神様、あなたがここにおられるお一人お一人へとお語り下さいますようお願いします。
この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。

このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお捧げ致します。

アーメン。

 

 

『「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。』マタイ6:1

 

おはようございます。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所のイエス様の言葉を読まれて、
皆さんはどのように感じられたのでしょうか?
私は一瞬「良いことは隠れてやりなさい」と言われているようで戸惑いました。
しかし、そうではないことはすぐにわかりました。それは6:4を読んでです。
神様は人が期待しないときでも十分に報いて下さっておられるのだということだからです。
ここで言われているのは、いくら自分で良いことだと思って人から褒められるであろうことをやっても、
その本質は神様にしかわからないよ、ということではないでしょうか。
逆に言えば自分には何もできないと思ったとしても、神様はあなたを用いて下さるということです。

 たくさんあるイエス様の教えの中には「人は二人の主人に仕えることはできない」というみ言もあります。
これは「人間の行うことの価値は神様しかわからないから、全てを神様にお委ねしなさい」ということです。
それは私の主人は神様だけです、と思えることと同じなのかもしれませんが、
私たちの生きている現実はいろんな価値観や思いが渦巻いていて、なかなかそんなことできにくいです。
それでも「私は今、神様に必要とされて生かされているんだ」と自分の存在を肯定できれば、
一人一人、人間はお互いの存在を認め合えるのではないでしょうか。
先日、ベッドに寝たきりになった若い方が「私は何もできないから」と私に言われました。私は「生きているってすごいことですよ」としか言えませんでした。
しかし、今ならこう答えることができます「神様があなたを必要とされています。」と。  

私たち一人一人は自分や自分の周りの人の生きている意味さえ見失うことがあります。
しかし、全ての命の存在の価値は神様がご存じです。
あなたの全てを神様にお委ねできますように。

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