憎しみを感じる時の聖書 ~どうにもならない憎しみに~
今、与えられている目覚めは何度目の目覚めなのでしょうか。私たちはいろいろな思いを持って目覚めを迎えます。「今日も目覚めることができました。神様ありがとう。」と思って目覚めることは数えるくらいしかできないかもしれません。目覚めることは当たり前に思えていることがあったり、目覚めたことを恨んだりもしてしまう時もあります。しかし神様、あなたが私たち一人一人に与えられる目覚めは変わることのない恵みです。不満や恨みよりも「ありがとう」と感謝の思いが少しでも多く持てる私たちにして下さい。
これから語られますみ言、この語る者を通して、ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。神様あなたに全てをお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。アーメン
「人を殺すな」と言われたら私たちは「大丈夫。そんな犯罪は起こさないと思うわ。」と言うかもしれません。でも「人を恨むな」と言われても、自分に何が起こるかもわからない今「そんなことしません」と自信を持って言えるでしょうか。
イエス様は「和解しなさい」と言われます。「人を恨むな」と言われません。そして「恨んだらその人を許しなさい」ではなく「和解しなさい」と言われるのです。
自分ではどうしようもない憎しみや恨み、悲しみを私たちはたくさん抱えています。それをすべて自分自身で抱えてしまい、笑って何もなかったように過ごしていても、いつか自分ではどうしようもない心の痛みや身体の痛みになって現れてくることもあります。「これはあの時我慢したからかも」と思い起こしても、何が原因なのか忘れていても、もうどうしようもないことであることも少なくありません。
自分ではどうしようもない憎しみや恨み、悲しみを私たちがたくさん抱えてしまうことをイエス様はご存知です。だから、私たちにもそのことを我慢して、現実から目を反らさないでいられることを、イエス様は語られます。
それは勇気がいるかもしれません。でもイエス様が共におられます。その現実に共に向き合い、あなたと共に祈って下さいます。
「人を恨まないで、和解しなさい。」とイエス様は言われます。自分には許せない人のためにも祈っていて下さり、あなたと共にいて下さるイエス様にすべてをお委ねできますように。