恵みと出会うために|私の恵みはあなたに十分である
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「1308回」、次週の週報エッセイの通しナンバーである。2000年4月に市川教会に着任してから、毎週の週報にエッセイを掲載してきた。前任地帯広教会からの続きでもあり、前任地では510回が最後であったので、トータルすれば1818回(休載したのは、3~4回)、ほぼ35年間毎週掲載してきた。
きっかけは単純な事で、「教会になかなか来ることが出来ない人に、週報を通じてメッセージを送りたい。」ただそれだけの事であった。日常の中にも沢山の恵みを頂きながら過ごしているのが私たちであり、その恵みを分かち合うことが出来たらと願ったからでもあった。教会によっては「会報」等を毎月作成して教会の状況・会員の消息を分ちあったり、会員の思いを共有したりするケースも多々あることは知っていた。しかし帯広は小さな教会だったので「会報」という形にしてしまうと、原稿を集めるだけでも個人負担が増えてしまうのは目に見えていた。だから、個人として発信し続ければ、何とか続けられるかもしれないと思ったからでもあった。
開始した当初は子育てで忙しかったが、子どもを通して沢山の恵みを見出すことができ、書き続けることに労したことは余りなかった。市川に着任後は施設のチャプレンを兼務することになり、教会になかなか来ることがない職員もいるので、キリスト教について少しでも理解してもらおうと、エッセイを掲載し続けることにした。我が家の子どもたちが成長してからは、プライベートなことにはあまり触れないようにしつつ書き続けてきた。とはいえ、毎週書くテーマが山のようにある訳ではない。それゆえ、常にテーマとなるようなことに触れたら、取りあえずメモに残し、数日掛けて内容を膨らませたりしながら整えていく。大抵、週末がその作業の日となる。本当は週末を迎えるまでには整えたかったのだが、「明日がある」と先送りにしてしまう性格が災いして、慌ただしい週末を過ごしてきた。パウロは「私の恵みはあなたに十分である。」(Ⅱコリント12:9)と述べているが、苦労しながらも毎週書くことが出来たという事は、まさに「十分に与えられている恵みに気付いたからだ」ということに他ならない。私が牧師として歩むために、エッセイを書くという作業を通して、神が訓練してくださったのだろうと思えてならない。
拙文を辛抱強く受け入れてくださった皆様に心から感謝しています。残り一回、どんなことを書こうかと、引っ越しの準備をしながら思いを馳せつつ市川で最後の週を過ごします。