イースターエッグ|卵に込められた愛

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コロナ禍最初のイースターの日、「イースター前日の恒例の『卵つくり』は中止し、代議員さんが用意し車で運んでくださった『卵型カプセルに入ったチョコレートをラッピングしたもの』が備えられ、後略」(2020.4.12.週報)と、このエッセイにしたためた。あの日から市川教会のイースターエッグは「プラスチック製の卵型カプセル」を用いているが、校長先生の発案で、中には植物の種が入っている。タマゴ探しの後の「種まき」をしながら、「命」を連想してくれたら嬉しいのだが、何を感じるかは子どもたちに委ねるしかない。

イースターエッグは「鶏卵のゆで卵」と、疑うことはなかった。半世紀前、キリスト者としての歩みを始めて、イースターエッグに出会った。大きな鍋でゆで卵を作り、食紅を使って様々な色を付ける。緑、青、ピンクetc.キレイというよりも「毒々しく」見えたのは、「卵は白」という固定観念からかけ離れていたからだろうが、それも数回経験すれば慣れに転じた。単色では寂しいからと、子どもたちとクレヨンで模様を描いたこともあった。食べる際にクレヨンが付いてしまうのではないか等と心配したことは殆どなく、ヒビから沁み込んだ食紅で色付いた白身も、「食紅だから大丈夫だよ」と平気であった。やがて手に取った時に汚れてしまわないようにとセロファンで包むようになり、20年程前からは、筒状の装飾されたビニールに卵を入れ、湯煎することで貼りつくタイプに替わった。変遷はいろいろあったが、子どもたちと一緒に、鶏卵のイースターエッグ作りというスタイルは変わらなかった。

だが、コロナ感染症は、変わらなかったスタイルを奪ってしまった。予防という観点から、「一緒に作った食べ物を、提供する」ことを止めざるを得なかったからだ。ただ、どのようなスタイルであろうと、キリストがもたらしてくださった「キリストは復活され、私たちに永遠の命をもたらしてくださった」という喜びは変わらない。変わらないものと「どちらでも良いこと(アディアフォラ)」とをしっかりと見極めさえしていれば、卵型カプセルもその内違和感なく受け入れられていくのだろう。ただし、これが新しい伝統になるかどうかは分からないが…。

「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(1コリント13:13)いつまでも残る最大のもの「愛」を、子どもたちがカプセル型タマゴの中にみつけてくれたら嬉しいと思いつつ、今年も大勢の子どもたちとイースターを祝えて感謝であった。

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