分からないが分かった|素直に『分からない』と言ってみたら?

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「淀ちゃんはオスで年齢は46才、寿命が死因ではなく分からない」、1月に大阪の淀川河口で確認され数日後に死んだマッコウクジラの調査結果である。マッコウクジラは70歳~80歳まで生きた記録があるので、寿命が死因ではないということらしい。またマッコウクジラのオスは成長すると単独で行動するため群れからはぐれたという訳でもないし、エサを深追いしたためでもないという。今後は環境汚染の研究に活用されたり、博物館で標本として保管・展示されるのだという。(Yahoo・NHKニュース等より)つまり「紛れ込んだ理由も死因も分からない」ということが分かったという結論となる。ともあれ、私も含め無事に海に戻れるようにと願う多くの人々にとっては残念な結果になったが、海洋汚染などとの関係が研究によって少しでも分かるようになることを願いたい。

「分からない」と素直に言うことは難しい。学者や研究者にとっても同じではないかと思うのだが、しかし分からないことは決して恥ずかしいことではない。むしろそこから始まることの方が多い。子育て真っ最中の頃、子どもの質問には何でも答えられなければと気負っていたが、ある女優さんが「子どもから『これは何?』と聞かれたら、分かっていても『何だろうね?』と応えることにしてます。そこから子どもが自分で調べるし、時には一緒に調べたりできますから」と語っておられるのを聞いて、肩から力が抜けるように感じたことがあった。子どもに対してだけでなく、仕事においても「わからない」と言うことの方がスムーズに事が運ぶ。ただし、「分からない」と言い続けて逃げることはもっての外なのは言うまでもない。

 

四旬節(受難節)を迎えた。十字架上でイエスが語られたとされる言葉は七つとされている。所謂「十字架上の七言」であるが、第一の言葉は、イエスの着衣をくじ引きで分け合うローマ兵たちのために「父よ、彼らをお赦(ゆる)しください。自分が何をしているのか知らない(口語訳:分からない)のです。」(ルカ23:34)と祈られた言葉であった。分からなかったのは、ローマ兵だけではない。ユダヤの人々も学者や祭司たちも分からなかったからイエスを十字架に付けてしまったし、イエスに従った弟子たちですら分からなかったから捕らえられたイエスを見捨てて逃げ去ってしまったのだ。しかし、イエスが来られたのは神の御心が分からなかったからだということに気付けば、それは神と出会うチャンスに他ならない。何故なら、「(神の事について)分からなかったことが分かった」、そこから信仰が始まるからだ。

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