隙がある
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リモートで会議を行い始めてしばらくの頃、「経費も時間も随分節約になる。できればこれからもリモート会議で済ませられたらどんなに楽なことか」というのが感想であった。しかし半年をすぎた頃から、少しずつ心境に変化が現れてきた、「会議に出かけることは環境を変えることであって、気分転換には必要なことだったのかも」とか、「会議に関することだけでなく、雑談することでどんなに心が軽くなっていたことか」等と思うようになった。効率的であるということが、必ずしも私たちの生活や心を豊かするということにはならないということなのだろう。
「仕事にとって重要なのは、仕事を邪魔してくれる要素だということ(多和田葉子)◇作家の近所に住む挿絵画家は、仕事をコンピューターでやるようになってひどく疲れやすくなった。筆を洗い鉛筆を削ることがないので、途中で一息つくことも立ち止まることもない。だから友人の電話で仕事を中断させられると嬉(うれ)しくなると。引き寄せたり遠ざけたり、加減を見たりと調子を変える、そんな隙の時間がないと、仕事自体が酸欠になる。『言葉と歩く日記』から。」(朝日新聞:折々のことば1月31日)デジタル大辞泉によれば、隙とは「物と物との間、人と人との間にできた隔たり。手抜かり・油断。」のことだというが、ここで言われている「隙」とは「手抜かり・油断」であり、気を緩めることや張り詰めた緊張感から解き放ってくれるために必要な「隙」ということになろうか。ただし、これも意識してというのではなく、無意識の内に行う所作であって、コロナ禍で「密を避けよう」と呼び掛けられ、強いられた「隙」では、私たちの心はやがて酸欠状態になってしまうに違いない。
「隙」という漢字の「つくり(右部分)」は「小+日+小」で、小さな点と太陽の象形からなり、「すき間から光が漏れる」という意味だという。(漢字語源辞典より) 「隙」という漢字を見詰めながら、古(いにしえ)の人々も、無意識に生まれる「隙」は心を照らす光になることを実感し、日々を送ってきたのだろう。
空の鳥を見つめて神が養ってくださること、野の花を見つけて神が装ってくださることを人々に教えられた主イエス。(マタイ6:25以下)人々が押し寄せ、教えや癒しの業に励みながらも、無意識の内に生まれた「隙」から、神の恵みを感じ取っておられたに違いない。コロナ禍の日々の中でも、時には手を休め、「隙」から差し込む光に、心をゆっくり遊ばせてみようではないか。