「記録」を記録する|歴史をつなぎ、未来を輝かす

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「通巻3949号」と、今週の市川教会の週報には記されている。「通巻」とは第1号から数えての番号である。「では第1号は何処に?」と聞かれたことがないので、これまで第1号の週報をご覧いただくことも話すこともなかったが、「正式な第1号は分かりません」これが先の問いへの私の答えである。「おやおや、これは一体どういうこと?いい加減な通巻番号なの?」と思われるのも嫌なので、事情を説明しよう。

赴任して1年程経った頃だった。市川教会出身の故I牧師が、「こんなものがあったよ」と1枚の古い紙を持ってきてくださった。A6版位のわら半紙で、「週報」と(手書き)印刷された1949年春頃のものであった。礼拝の場所は、旧陸軍の兵舎跡を利用して行われていたK保育園。その頃の資料は皆無であったので、私はその週報を「通巻1号」とし、概算で「通巻〇〇号」と記すことにした。だから「通巻」は市川教会の宣教開始でもないし、新築した会堂での礼拝の回数を意味するものでもない。

週報に限らない。戦前パウラス宣教師のご自宅で集会が開始されて現在に至る市川教会の「始まり」や初期の諸活動については、資料はおろか記録すら殆ど残っていない。2006年に発行した「献堂50年記念誌」に教会史を掲載するにあたって何とか教会史をまとめることができたのは、Mさんの多大な労によってであった。ともあれ、その記念誌に寄稿してくださった方々の「思い出」が、ある意味過去の資料であり記録として次世代に残せる唯一の物となった。沢山の資料を残す必要はないが、せめて様々な出来事の「記録」だけはどこかに記録しておくことは宣教の継続にとって不可欠ではあるまいか。

紀元前621年、ユダ王国のヨシヤ王は神殿の改修中に「律法の書」を発見する。王はこの書に記された律法を民に読み聞かせ、改革を推し進めていった。その改革は偶像崇拝の廃止、過越祭の復活、神殿の修復と、神の恵みに信頼する生き方を取り戻すことであり、歴史に残る「宗教改革」であったが、それを支えたのも「律法の書」という記録の発見であったことを忘れてはなるまい。

話しは変わるが数々の記録を刻む大リーガー大谷選手。現在は本塁打と盗塁が同数最多記録更新中だが、「1876年から始まった大リーグの記録」がしっかりと残され比較できるからこそ、彼の記録が輝かしいものであることを知ることが出来るのだと思う。

記録はクラウド任せの私だが、来年3月までには「『記録』を記録して」引き継がなきゃなぁ!

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