その先は・・・|その先の先の先も導く聖霊

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愛らしいカワウソを見て飼いたいという人に対して、上野動物園教育普及課長大橋さんは、気持ちが良く分かるだけに、「かわいいのその先も、伝えていかなければ」と言う。人にはなつきにくく、泳ぎ回れるプールも必要だし、カワウソを診てくれる獣医さんも少ないからだ。(5月31日朝日新聞「天声人語」より)確かに小動物は愛らしく、その存在が癒しにもなる。しかし「買う=飼う」であることを考えた上で、「買う」と決断しなければならないのは云うまでもない。

飼った経験は金魚とミドリガメしかない我が家に、2005年3月、初めて子犬がやってきた。鑑賞用の生き物よりもはるかに手が掛かるということ、更には自宅での仕事が多い私に当然負担がかかってくること等々、その先の覚悟をした上でのことだった。数か月もすると予想通り私が散歩に連れて行くようになった。雨の日風の日関係なく朝晩約1時間ずつの散歩が日課となり、その生活が16年間続いた。飼い始めた時の「その先の覚悟」の日々であったが、実は「その先の先」に地域の人と挨拶を交わすようになったり、教会の行事にも参加してくれるようになったり、ワンコ友だちと交流を深めたりなど想像を超えた喜びがあるとは予想外だった。足腰が弱くなった最後の二年間は介護に費やした日々であり、私の腕の中で看取りの瞬間を迎えたのは、「別れ」のもつ尊さを教えてくれた時であり、それは「その先の先の先」に用意されていた恵みの賜物だったのだろう。

イエスに従い始めた弟子たちは、癒しを求めてやってくる群衆を見詰めながら、「その先」に何を見ていたのだろうか。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に」とヤコブとヨハネの母は願い出、これを聞いたほかの弟子たちは腹を立てた(マタイ20:20)。この世の権力や地位を夢見ていたのかもしれない。しかしイエスのみは「その先の先」に十字架と復活の出来事を見据えておられた。だが弟子たちにとっての「その先の先」は、主に従っていたことによる恐れが待っていることになる。だが私たちは知っている、「その先の先の先」に「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」(ヨハネ14:16)と約束してくださっていたのである。ただし弟子たちがそのことを知ることになるのは、復活された主が昇天された後の、聖霊降臨の時であった。

「永遠にあなたがたと一緒にいる」、先週のペンテコステの日に体験したばかりなのだから、「その先の先の先…」も寄り添ってくださる主に支えられた歩みを続けよう。

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