土俵の外に立ち、争わず勝つ

第四章 自戒するとき

人はだれしも自分自身のなかにあるいやなものを見つめたくはない。同時に、だれひとりとして自分のなかにいやなものをもたない人はいない。自戒するとは、自分のなかのいやなものと正面から向き合うことである。向き合うことによって、いやなものを捨てることが自戒ではない。自分にとっていやなものが果たしてきた意味を知ることであり、そこから新しく生きる自分を学び取ることが自戒である。そのとき、いやなものはただいやなものとしてあるのではなく、新しい自分をつくるためのエネルギーとしてあると受けとめることである。

剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。 (マタイによる福音書26章52節)

【解 釈】
イエスがいよいよ捕縛される夜、そそのかされた大勢の群衆が剣や棒をもって集まってきた。弟子のひとりであるペトロは剣を抜いて、相手のひとりに切りつけ、耳を切り落とした。イエスがそれを見て、「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」と言われたのである。

「君子は争わず」とか「金持ち喧嘩せず」ということわざがあるが、イエスは優位に立つ者として悠々と「自分は争わない」と言われるのであろうか。そうではない。イエスは、力に対して力を行使する愚を戒められたのである。しかしそれ以上に、この言葉には、剣と剣の争いは、同じレベル、同じ立場の争いにすぎないという意味が隠されている。イエスが「剣をさやに納めなさい」と言われるのは、剣に対してまったくちがった立場にいなさいということである。レベルを異にして相手の前に立つことである。それによって勝ったと思う者が、その瞬間、 負けるのであり、負けた者が勝つという価値や意味の転換が生じるのである。イエスは、自ら進んで捕らわれの身となることで、そのモデルを示されたのである。

【こころ】
たまたま良い人との巡り合わせがあり、再婚の話が決まったひとりの女性が、話を聞いてもらいたいと言ってやって来ました。聞くところによると、ぜひこの結婚を成立させたいと思っているが、前夫があれこれと口を挟んでくるので悩んでいるとのことでした。
「もうとてもたまらないんです。お前のような奴はどんな男も不幸にするばかりだ、 こんど結婚する相手も俺と同じようにお前から不幸な目に遭わせられるにちがいないから、結婚するなと相手に言ってやると言うんです」
「そのことを、こんど結婚される方に話されましたか」
「ええ、すっかり話しました。前夫とのことをいろいろ彼に言うのはとてもつらいことでした。でも、最後には彼は、そんな昔の話は聞かないよと言ってくれたのです」
「じゃ、問題はないじゃありませんか。お互いに理解しているのですから。いったいどうしたいのですか」
「なにしろ前夫が赦せません。人の幸福を邪魔するなんて、思い出すと悔しいやら、 腹が立つやらで泣きたくなります。結婚妨害でなにか訴える方法でもないものでしょうか」
といかにも腹立たしい様子です。
「でもあなたは、その前夫のせいでいろいろ悩んだり苦しんだりしたかもしれないが、 相手の方の本心を知ることができて、安心して結婚へ踏み切れるのではありませんか。そうだったら、むしろ前の方に感謝したっていいですね」
「そういう考え方もあるのですね」
とその女性が言います。もしこの人が前夫をずっと恨み続ければ、せっかくの結婚生活に影を落とすようなものです。むしろ前夫のあらぬ行為のおかげでかえって安心できる 結婚ができたと思えば、前夫に感謝してもよいくらいです。これこそ土俵の外に立って、 争わずに勝つことと言えましょう

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