だれでも生きることが許されている

第一章 人を祝福するとき

創世記によれば、人はすべてのものとともに「よし」とされて創造されたとあ る 。 人は 、呪われたり 、 滅びたりするために 、この世に生きているわけではない 。人の存在は肯定的に受けとめられているのである 。「人を祝福するとき」とは 、人 の存在が肯定されていることを明らかにする言葉であろう 。 人を祝福するとは 、この肯定的な人間存在の意味を自分のなかに 、あるいは他人のなかに発見したいとの思いをこめている 。

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。(ヨハネの手紙一、4章10節)

【解 釈】
ヨハネの手紙が書かれたのは、一世紀の終わり近くであって、当時の教会は、グノーシス宗教といわれる一種の偽キリスト教と戦わねばならなかった。グノーシス宗教の信奉者たちは、物質の世界は悪であって、精神の世界が善であると主張した。いわゆる二元論を主張する。したがって、精神の世界の最高位者である神がこの世のことに関与されるはずがないとした。グノーシス宗教はキリスト教が世に出て以来、影がつきまとうように、いつの時代にあっても似て非なるものとしてキリスト教の傍流として発生した。現代においても同じように、キリスト教と似て非なるグノーシス宗教が起こっていることを知る。

初代教会は、グノーシス宗教と一線を画し、神はこの世を悪とは見なさず、世を愛してひとり子キリストをこの世に送られたと主張した。しかも、その命と引き替えに人間を罪から救われた。そこにこそ愛があるとした。神は自らをこの世と切り離すことなく、かえつて密接な関係を保つのである。「神は愛である」という有名な言葉は、初代教会が異端と戦うためのスローガンである。同時に、この世に生きる者はすべて神から愛されていることを宣言している。

【こころ】
エリクソンという心理学者は、人が生まれてから一歳半までの間における人格形成上の課題は、基本信頼をつくることだと提唱しています。基本信頼とは「生きていてよい」ということなのです。いわば生きる確かさの保証です。心理的には、母親とのスキンシップが基本となって与えられる保証です。この基本信頼が不足すると、なんらかの情緒不安に陥ると言われます。しかし、どのような母親であっても100%の基本信頼を子どもに与えることはできませんから、人はどれほど歳を取っても、基本信頼の足りないところを求めると言われます。生きる確かさを保証してもらいたいからです。「愛されたい」というのは、その気持ちの表れです。

信仰とはその意味からすれば、神から基本信頼をもらつて、「お前さんは生きていてよい」という確かなお墨付きをもらうようなものです。自分の存在をそのように受け取ることができれば、どんなときにも生きる勇気を失わないでしょう。バルトという有名な神学者は、自殺をしようとする人に向かって、「あなたは生きるべきだと言っても意味をもたない。むしろ、あなたは生きることが許されていると言うべきだ」と言っていますが、生きている根っこには、神からすでに愛されているという事実があることを明らかにした言葉です。