「ああ、そうか」と言える自分に

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第五章 岐路に立ち選択するとき

人生は選択の結果である。人生の結果に影響するのは、環境と出来事、そして生まれつきの素質であり、加えて自己の決断がある。環境と出来事と素質は変えることができないが、しかしそれだけで人生が決定されるわけではない。人生を最終的に決定するのは自己の決断である。その決断は、環境や出来事や生まれつきの素質にもかかわらず、それらを超えて人生を決定する。その決断を促すものはなにか。それを発見した者こそが人生に勝利する。

今や、恵みの時、今こそ、救いの日。コリントの信徒への手紙二、6章2節

【解 釈】 人が物事を決定して、なんらかの変化を得ようとするなら、意志によって決断をしなければならない。意志は現在においてのみ働く。意志は過去に働かないし、未来にも通用しない。意志は常に現在のものである。その意味で、決断をする機会は常に「今」である。人がもし生活のなかでなにか問題をもったり、さらに成長の機会を得たいと願ったりするなら、「今」ここで意志を働かせて決断をすることが求められる。その決断が変化を生む。

その意味で、決断の「今」をどのように受け取るかは重要である。もうだめだとあきらめれば、もはや決断のチャンスはない。まだそのときではないと思えば、変化による結果は生まれない。

パウロは、「今」というときを大切にした。変化を期待するなら「今」でなければならない。その「今」が変化への決断を促すときであるためには、「今」のときが恵みであり、救いでなければならない。そのような「今」が、あなたの「今」なのだと言っているのである。その意味で、ここで言う「今」は、静上した状態での今のときでなく、これからなにかが始まろうとする動的な「今」である。

 

【こころ】 「今、ここでの気づき」とは、カウンセリングの合い言葉のようなものです。カウンセリングは、時間の流れのなかで事が動いていきます。その流れのなかで変化が起こります。その変化が事態を改善するのです。その変化はけっして過去にも未来にも起こりません。変化が起こるのは常に現在です。「今、どんな気持ちですか」「今、なにがあなたのなかに起こっているのですか」「あなたは今どんなことを考えているのですか」――こうした問いは、「今」の自分の姿をかいま見せてくれます。少しでも「今」の自分が見えれば、おのずと自己への洞察が生まれるでしょう。洞察という言葉が難しければ、「ああ、そうか」という言葉に置き換えてもかまいません。どれほど深遠な洞察であっても、言葉にしたときには「ああ、そうか」になるでしょう。「ああ、そうか」は、そのことからすれば、いつでも「今」を見ていないと出てこない言葉なのです。

自分の人生に「ああ、そうか」と言える「今」をたくさんもっている人は幸いです。「ああ、そうか」と言うたびに、新しい変化を生活のなかに発見するでしょう。それらの「今」は、まことに「恵みの時」「救いの日」です。

賀来周一著『実用聖書名言録』(キリスト新聞社)より

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