
一人一人を通してこぼれる命の光
命を持っていない方はおられますか?命は目に見えなくても、私たちは「持っています。」と、自信をもって言うことができます。なぜでしょう?手が動くから?足が動くから?目に見えて動くものを確認できなくても、皆さん命が与えられています。
命を持っていない方はおられますか?命は目に見えなくても、私たちは「持っています。」と、自信をもって言うことができます。なぜでしょう?手が動くから?足が動くから?目に見えて動くものを確認できなくても、皆さん命が与えられています。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所においては、復活のイエス様に出会った弟子たちの話を聞いて不思議に感じていた弟子たちの真ん中に復活のイエス様が立ち、「あなたがたに平和があるように」と語られ、復活された体を証明されるために食事をされるという場面が語られております。
「天に誓って。。。」と、私は学校の友達などによく言った覚えがあります。
あなたは誰に信頼していますか?それではあなたは誰に信頼されていますか?
あなた方は地の塩である。とも、世の光である。とも、聖書においてイエス様は語られています。
私が思い描くキリスト誕生の絵は幼い頃から、暗い小屋の中、笑顔の馬や牛を背景に座っているマリアさんと立っているヨセフさんと天使たちに囲まれて、飼い葉桶の藁をクッションにして布にくるまれて寝かされて微笑む、赤ちゃんのイエス様の絵です。
幼い頃、この聖句を読んでギョっとしてしまったのは私だけでしょうか。聖書を読みながら私は、「イエス様はいったい何肉になって、私たちの身近にあるの?」なんて考えてしまう自分がいけないと罪悪感を感じたりしていました。
いろいろなきっかけで、思いもかけないことを思い出して、自分でもびっくりしたことはありませんか。私はこの聖書の箇所から一人の女性との出会いを思い出しました。
「私はあなたを愛しています。」といきなり言われたら、なんだか照れくさくなって、急にその人が気になったり、「うっそー」と否定したくなったり、「本当?」と疑ってみたり「ありがとうその言葉待ってたわ」と、いろいろな反応があるかもしれません。
皆さん「喜び」を表現して下さい、と言われたらどうしますか?笑う人もいれば、踊る人もいるかもしれませんが、大声で叫ぶ人も泣く人もおられるかもしれません。