さあなの部屋

何のために生まれてきたのだろうと思う時の聖書~あなたが必要~

「何のために、私は生まれて来たのだろう。」 このような思いを、少なからず一度はお思いになられたことはないでしょうか。 「何のために私は生まれて来たのだろう。」私もこう問わずにはおられない、 そんな心の追いつめられた状態になるときがあります。 ではイエス様はどうでしょうか? イエス様は何のために生...

いつもあなたに寄り添っておられるから

「なんで?」と思うくらい、その時、聴いた聖書のみ言に慰められる時があります。 今、ご一緒に聴いた聖書の箇所のみ言が、私にはそうでした。 なぜでしょうか?だって、お一人お一人の置かれた状況も違えば、 環境も年齢も性別も国も時代も違います。 でも聖書のみ言は同じです。多少の表現の仕方が国によって違う...

与えられているかけがえのない今 

今、ご一緒にお読みした聖書の中で、イエス様は「明日のことまで心配してはいけない。 神様の恵みは、あなたに必要なものは十分に与えられているんだから。」 と命令されておられるわけではありません。 明日のことまで考えてしまい、心配になってしまう私たちのことを 一番良くわかって下さっておられるのはイエス...

必ずあなたのすぐ傍にいるから

「あの人のことを考えると夜も眠れないわ。」と聞くと、 私たちは、あの子はきっとあの人にぞっこんなのね、羨ましい。なんて思う方が多いかもしれません。 では「あのことを思い出すと私は夜も眠れないの。」と聞くと、 多くの人が、よっぽど怖い目にあの子は遭ったんだろうなぁなんて思うかもしれません。 でも、...

ありがとう私を思い出してくれて

『神よ、わたしを憐れんでください』詩編51:3 と詩人は詩(うた)い出します。 しかし、神様は「何をいまさら言ってるんだ、もう私はとっくにあなたを憐れんでるではないか」と怒り、一人一人の祈りにいちいち腹を立てられるのではなく、神様は「私に心を向けてくれて、ありがとう」と一人一人に心を留めて下さい...

全ての一人一人が神様に大切な存在だから

「異邦人」「地の果てまでに」と言葉だけ聞くといくら聖書でも差別的にも聞こえるし、極端にも聞こえるような気がするのは私だけなのでしょうか。  今、共に聴いた聖書の中で語られるみ言は聖書に登場するパウロやバルナバだけに語られているわけではなく、あなたへ今、神様から語られています。聖書が書かれた時代...