あなたへの恵みはどこから
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「マタイ9:35-38」において、イエス様が語られておられるみことばは「働き手が少ないから神様に催促をしようよ」と言われているようにもとれて、「ずいぶんイエス様も強引な方だったんだなぁ。」という印象を持ちました。しかし、その前の箇所にある「飼い主のいない羊のような」...
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「マタイ9:35-38」において、イエス様が語られておられるみことばは「働き手が少ないから神様に催促をしようよ」と言われているようにもとれて、「ずいぶんイエス様も強引な方だったんだなぁ。」という印象を持ちました。しかし、その前の箇所にある「飼い主のいない羊のような」...
私たち一人ひとり、いつでもどんな時でもどんな場所でもできることがあります。それは人を思うことです。心配することや妬むことや恨むこともできますが、心の中心に神様を置いて自分の思いを神様に委ねるのなら、その願いや思いは心配や妬みや恨みではなく愛に変えられるのではないでしょうか?
今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「マタイ4:23-25」の最後の文章に「大勢の群衆が来てイエスに従った」と書かれています。イエス様に従うとはどういうことなのでしょうか。イエス様に直接会うことができない現代に生きる私たちは、イエス様に従っていないのでしょうか。「従う」ということは「ついていく」という...
詩編90編 【祈り。神の人モーセの詩。】主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。 山々が生まれる前から/大地が、人の世が、生み出される前から/世々...
今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「詩編37;23-29」は、神様である私たちの主への信頼を詩っております。私たち一人ひとりの神様への信頼は、私たちから起こったものではなくて、もうすでに神様が私たちを信頼して下さっているという安心感からの信頼です。私たちが信頼したから神様が私たちを信頼して下さったの...
今、ご一緒にお読みいただいた聖書の箇「エフェソ2:11-13」において「異邦人」という言葉が出てきます。「ん?何だか聞き慣れない言葉だし、ちょっと差別的だな。」と私は感じましたが、皆さんはどうでしょうか?この言葉は皆さんと礼拝の中で歌っている「ヌンクディミティス」の中にも出てきます。一昔前に流行った歌謡...
「今朝はイエス様のお話を聴いたから、一日私は良い行いができるわ。」と張り切ったとしても自分の理想通りに動けなかったり、思っていたような結果が出なかったりして、「やっぱり今日もダメだったわ」とか「私ってやっぱりダメね」と思ったりしたことがあるのではないでしょうか。自分のせいにしないですべてを周りの...
今ご一緒にお読みしました「2コリント5:16-21」において、「キリストによって私たちは神様と和解させていただき、神様によって義とされた」と語られています。和解?義とされる?「そんなこと私は望んでいないし、どうでもいいじゃん。」と思われる方も少なくないと思います。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「1コリント3:10-17」の語り始めにおいては「イエスキリストを土台としない建物の結末は滅びだ」と、なんだか怖いような恐ろしいことが語られています。
「知恵」とはなんのことでしょうか。似ていますが「知識」とは違います。今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「1コリント2:6-16」においては、繰り返し「この世の知恵」と「神からの知恵」というようなことを語ります。「この世の知恵」は滅びるが「神からの知恵」は滅びない。