わたしはあなたを知っている
皆さんはこんな光景を見たことありませんか? 少し混んでいるスーパーやデパートの売り場で、 迷子になって「ママー、ママー」と泣き叫んでいる子どもを。 その声をしばらくハラハラしながら聞いていると 「なーに、ここよ。」と、その子のママらしき声がすると、 にわかに泣いていたその子の顔が明るくなって泣き...
皆さんはこんな光景を見たことありませんか? 少し混んでいるスーパーやデパートの売り場で、 迷子になって「ママー、ママー」と泣き叫んでいる子どもを。 その声をしばらくハラハラしながら聞いていると 「なーに、ここよ。」と、その子のママらしき声がすると、 にわかに泣いていたその子の顔が明るくなって泣き...
「こんなはずではなかったのに」と、自分が予想もしていなかった結果に びっくりしたことや後悔したことはありませんか。 私たちは物事の結果に期待して、行動することが多くあります。 自分がこのように行動していこうと希望を持つことは、 相手がこう行動するだろうと期待してしまうのとは違います。
「おまえは嘘つきだ。さっき違うことを誓ったじゃないか」 こんな風に言われたり、人からなじられたことはありませんか。 私はあります。 幼い頃,兄弟から怒られ、最近では自分で自分自身を責めました。 こんなこと人間にはたくさんあるんだからしょうがないじゃないか、 と思う方もおられるかもしれません。 そ...
私たちが今生きている世界が、とてもとても大きく感じることもあれば、 とても小さく感じることもあります。 自分自身の存在もとても大きく見えたり、小さく感じたりします。 でも、実際の大きさは変わりません。 変わるのは自分の持つ価値観です。
海に漁にでる漁師さんが「私は漁に行く」と言っても何の不思議はありません。 しかし、それは時と場合にはよらないでしょうか? 今、ご一緒にお読みした聖書の箇所のヨハネ21:3において、ペトロさんが言った時はまだ、 イエス様を十字架にかけて殺してしまった人々が、 イエス様の弟子だった自分たちを捕まえに来る...
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は、「最後の晩餐」と題されていて、 有名な画家の絵の題材にされたりした箇所でもあります。 聖書に書かれている通り、イエス様がいよいよ十字架に掛けられようと、 捕えられる前に最後に行った弟子たちとの夕食の場面です。 これは、今も行われている聖餐式の初まりでもあ...
私たちはいつも、私たち一人一人のために、 キリストイエスが十字架の苦難の先の、命への道を歩まれておられることを 思い返す日々を共に歩んでます。
皆さんのイエス様のイメージっていったいどんなでしょう。 お一人お一人がお持ちになられているイメージの細かい所は違っていても、 だいたい同じで、穏やかでやさしい方というイメージが大半ではないでしょうか。 ところが今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所においては、 ほとんどの方のイメージとは違って、...
皆さんは「許す」ということの難しさと大切さを感じられたことはあるでしょうか。 「こんちきしょう、おまえなんか死んでしまえ。」と思っていた人が 本当に亡くなってしまったら、言いようもない後悔や後ろめたさが残ってしまう。 そのような思いをされた方もおられるかも知れません。 そのような思いは意識的であ...
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所において 「主に結ばれているのならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたは知っているはずです。」15:58 と語られています。 そんなこと知らないよ、と思われる方もおられるかもしれませんが 「主に結ばれていないものはきっと」とは語られておりません。