あなたを愛して下さる神様に全てを委ねて

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エフェソ1:15-18
1:15 こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していることを聞き、 1:16 祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。 1:17 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、 1:18 心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。

 

祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
テレビなどでは戦争や平和をテーマにした番組がたくさんあります。
平和を願わない人はいません。戦争を喜ぶ人もいません。
ただ今ある幸せを、家族の将来を願います。
目の前の幸せから未来の幸せまで、ずっとずっとと祈らずにはいられません。
その人にとって何が幸せなのか、私たちには計り知ることは到底できません。
自分自身にとってのことでさえ見えないときがあります。
しかし、一人一人を大切に愛される神様、あなたなら全てをご存じです。
世界の全ての一人一人が神様、あなたへ全てを委ねられますように。

これから語られます神様、あなたからのみ言、
この語る者を通して神様、あなたがここにおられるお一人お一人へとお語り下さいますようお願いします。
この語る者の全てを神様、あなたへお委ね致します。

このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお捧げ致します。

アーメン。

 

「心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。」エフェソ118

 

おはようございます。
私の人生は全て私の思い通りになってきたわ、と思われる方はおられるでしょうか。
多かれ少なかれ自分が思ってもいなかったことに出合ったり、
物事の成り行きがうまく行かなかったり、
これらのことを自分の努力が足りないからと悔やんだり、
あいつのせいだと、人や神や運命を恨んだり、
いろいろな方法で自分を納得させてきたかもしれません。

私はある友達に「お祈りしていますね」と言い続けていました。
ある日その人に「神様のみ心のままにと祈るのだけはやめてね」と言われました。
その人が言うには「今までろくなことがなかったから、これからもそんなに神様に任せられない」と言うのです。
その人も難病を患い、結婚も仕事も諦め、
せっかく再起を望んで受けた手術もうまくいかず、
その人に言わせれば踏んだり蹴ったりです。
大切な友をたくさん送ってきたそうです。

何が幸せか。自分の思い通りに全てがなることなのでしょうか。
病気や災いに出遭わないことなのでしょうか。
簡単に答えは出ませんし、一人一人生きている人の数だけ答えはあるでしょう。
ただこれだけは言えます。
生まれて来なければ良かった命なんてありません。
愛されていない命なんてありません。
何を感じ、どのように生きるのかは一人一人違います。
神様である主イエスキリストを信じ、祈りつつ歩むということは、
あなたが神様に愛され信じられていることを受け入れると同時に、
あなたが出会う一人一人の人も全て神様に愛されて信じられていることを、
あなたが受け入れて、あなたがあなた自身の方法で伝えて行くことなのではないでしょうか。

自分自身に対しても大切な友のためにも
「神様のみ心のままに」とは、自分が思っている範囲の中には入り切らない、
神様の無限の愛に全てを委ねることなのです。

「全てが神様のみ心のままに、そして平安が与えられますように。」

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