
私たちはだれのもの
祈り) 天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。 この新しい目覚めも、今日出合う一つ一...
祈り) 天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。 この新しい目覚めも、今日出合う一つ一...
私たち一人一人は、いつでもどんな時でもどんな場所でもできることがあります。 それは、人を思うことです。 心配することや、妬むことや、恨むこともできますが、 心の中心に神様を置いて、自分の思いを神様に委ねるのなら、 その願いや思いは、心配や妬みや恨みではなく、愛に変えられるのではないでしょうか?
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所マタイ4:23-25の最後の文章に「大勢の群衆が来てイエスに従った」と書かれています。 イエス様に従うとはどういうことなのでしょうか。 イエス様に会うことができない、現代に生きる私たちはイエス様に従っていないのでしょうか。
私は入院中、運動機能のリハビリと言葉のリハビリを受けています。 言葉のリハビリの言語療法士の先生に、私が普段やっていることをお話しすると、先生がすごく驚かれます。 私も声が出せる自分に驚くことがあります。 何の力が働くのでしょうか。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「詩編37;23-29」は 神様である私たちの主へ、一人一人が持つ信頼を詩っております。 私たち一人一人の神様への信頼は私たちから起こったものではなくて、 もうすでに神様が私たちを信頼して下さっているという安心感からの信頼です。 私たちが信頼したから神様が私たちを...
今、ご一緒にお読み頂いた聖書の箇所 「エフェソ2:11-13」において「異邦人」という言葉が出てきます。 「ん?何だか聞き慣れない言葉だし、ちょっと差別的だな」と私は感じましたが、皆さんはどうでしょうか?
「今日は朝からイエス様のお話を聴いたから一日私は良い行いができるわ。」と張り切ったとしても、 自分の理想通りに動けなかったり、思っていたような結果が出なかったりして 「やっぱり今日もダメだったわ。」とか「私ってやっぱりダメね。」 と思ったりしたことがあるのではないでしょうか。
今、ご一緒にお読みしました「2コリント5:16-21」においては、 キリストによって私たちは神様と和解させて頂き、神様によって義とされたと語られています。 「和解?」「義とされる?」 そんなこと私は望んでいないし、どうでもいいじゃん、 と思われる方も少なくないと思います。 「神様との和解」とは神様と...
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所の 「1コリント3:10-17」の語り始めにおいて、 イエス・キリストを土台としない建物の結末は滅びだと なんだ恐ろしいことが語られています。 建物を建てる時は土台はとても大切だということを、私たちは知っています。 大工さんが建物を造る時にどんな土台を使ったのかは ...
「知恵」とはなんのことでしょうか。似ていますが「知識」とは違います。 今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所の「1コリント2:6-16」においては 繰り返し「この世の知恵」と「神からの知恵」とを語ります。 「この世の知恵」は滅びるが「神からの知恵」は滅びない。