ニュースにならない人たちのこと
「我慢のゴールデンウィーク」が終わり、人出はコロナ以前に比べればかなりの減少がみられたというが、昨年に比べると人出は増加し、感染者の急激な減少とはならなかった。感染者・重症者の棒グラフ、重症化した人々の辛い状況、遅々として進まぬワクチン接種等々、連日ニュースに取り上げられ、心を痛める日々が続く。
「我慢のゴールデンウィーク」が終わり、人出はコロナ以前に比べればかなりの減少がみられたというが、昨年に比べると人出は増加し、感染者の急激な減少とはならなかった。感染者・重症者の棒グラフ、重症化した人々の辛い状況、遅々として進まぬワクチン接種等々、連日ニュースに取り上げられ、心を痛める日々が続く。
漁にでる漁師さんが「わたしは漁に行く」と言っても何の不思議はありません。しかし,時と場合にはよらないでしょうか?
わたしは弱いときにこそ強いからです。(コリントの信徒への手紙二、12章10節)
「何のために私は生まれて来たのだろう。」 このような思いを少なからず一度はお思いになられたことはないでしょうか。「何のために私は生まれて来たのだろう。」私もこう問わずにはおられない、そんな心の追いつめられた状態になるときがあります。
私は2000年4月市川教会に着任したが、就任式は同期で当時の東教区常議員であった故H牧師が執り行ってくれた。子ども4人いることも知っていたので、彼は沢山のショートケーキを手土産に来てくれた。心遣いはとても嬉しかったのだが、中身は全て違う種類のケーキ。
四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず (コリントの信徒への手紙二、4章8節)
3月に緊急事態宣言が解除されたものの、感染者が再び増加傾向となり、現在はまん延防止措置指定都市となっている我が市川市。そして1都2府1県へ再び緊急事態の宣言。感染に歯止めがかかる気配が感じられない。なんともやるせない。「人流増→感染増→宣言→感染減→宣言解除→始めに戻る」いつまで繰り返したら良いのだろ...
「今まで自分に起こったすべてのことを、私は一人で乗り越えて来たんだ。」と思われている方は少なくないかもしれません。そうでもなく、「なんで今、自分は無事でいられるのだろうか」と不思議に思っておられる方もおられるでしょう。今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は「共におられる神様」を力強く私たちに詩...
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。 (コリントの信徒への手紙一、1章25節)
最近、教会でポスターにあるこんなキャッチフレーズを目にしました。「命って誰のもの?」それはキャンプテーマをアピールするものでした。「命って誰のもの?」ひと言で「命」と言っても自分の命、植物や動物の命、光や風。私たちの周りには様々な命に溢れています。