私たちと共にある変わらないもの
私たちが今生きている世界って、とてもとても大きく感じることもあれば、とても小さく感じることもあります。自分自身の存在もとても大きく見えたり小さく感じたりします。
私たちが今生きている世界って、とてもとても大きく感じることもあれば、とても小さく感じることもあります。自分自身の存在もとても大きく見えたり小さく感じたりします。
「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」(マタイ9:36)「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。」(マタイ14:14)福音書に記されているイエスの宣教の様子である。
皆さんのイエス様のイメージっていったいどんなでしょう。お一人おひとりがお持ちになられているイメージの細かい所は違っていても、だいたい同じで穏やかで優しい方というイメージが大半ではないでしょうか。ところが今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所においては、ほとんどの方のイメージとは違って神殿の中で商売...
二週間前、四回目のワクチンを接種してきた。これまでの三回はF社製だったので、交互接種が抗体を増やすという英国などの報告を聞いて、今回はM社製を接種することにした。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は「エルサレム入城」と言われ、イエス様がその時代にユダヤ教で大切にされていた行事に参加されるために歩んだと語られる箇所です。
いよいよ今週末、子どもたちの夏休みが始まる。「今年こそコロナの心配をしないで楽しく過ごしたい」と待っている子どもたちも多かったことだろうが、再び感染者が急増し、「ほぼコロナ禍第七波」に見舞われ、夏休みを前に心配の種が増え始めている。とはいえ、夏休みが無くなるわけではないのだから、どんな状況でその...
私は、いつも神様からのみことばを通して、こうして皆様お一人おひとりの魂と出会えますことを感謝しています。よく入院仲間に言われます「待っている人たちがいるからいいね」って。もちろんその方にも家族はおられ、その方が家に帰って来るのを待っておられると思います。
先週、飯田教会訪問時に起こった「ペンギン歩き」のことをこの欄に記した。飯田ではもう一つ思いがけない出来事があった。日曜日の礼拝後、飯田教会の歴史を振り返りながら、今後の飯田教会会堂についての思いを語り合う時間があった。その折、一人のご婦人が教会の歴史に重ねながら隣の阿智村にある「満蒙開拓記念館」...
お一人おひとりにとって一日一日が大切な日だと思います。神様があなたと共におられないときはあったでしょうか。残念ながら神様があなたと共におられないときはありません。今までも、そしてこれからもです。「そんなことわからないじゃないか」と思われる方もおられるかもしれませんが、わからなくて見えない方だから...
飯田教会で4日間の奉仕の最後は幼稚園園児礼拝の説教。礼拝が終わった会堂に4歳の子が部屋に戻らず壁際に座り込んでいた。少し気分を変えさせてあげようと、「牧師先生が連れてってあげる。抱っこが良い?オンブ?それとも肩車?」。すると「ペンギン歩き」と私を見上げながら返事をくれたが、「???」の私。