「ああ、そうか」と言える自分に
今や、恵みの時、今こそ、救いの日。コリントの信徒への手紙二、6章2節
今や、恵みの時、今こそ、救いの日。コリントの信徒への手紙二、6章2節
「あれ、今私こんな気持ちでいたんだ」と気づかされる時ありませんか?そのような時や「こんな気持ちを抱いてもいいのかな?」という時があったり。でも、聖書の言葉は飾りません。そして、私たちが読んでいる詩編はほとんどが祈りの言葉です。
一日で100cmの積雪を、帯広教会に居た時に経験したことがある。40~50cmの積雪を見て、すぐに雪かきを始めたが、雪は降り続き、数メートル程雪かきして振り向くと、再び膝辺りまでの積雪。その繰り返しだった豪雪の日であった。あれこそまさに「大雪」だった。でもそこは雪国、道路は一部で少し渋滞があったもの...
この方においては「然り」だけが実現したのです。(コリントの信徒への手紙二、 1章19節)
「2コリント5:16-21」において、キリストによって私たちは神様と和解させていただき、神様によって義とされた、と語られています。「和解」?「義とされる」?そんなこと私は望んでいないし、どうでもいいじゃん、と思われる方も少なくないと思います。
(58) クリスマスの余韻に浸る間もなく、新年を迎えた。日本式の様々な新年の行事の中で、クリスマスに与えられた恵みや思いは心の片隅に追いやられてしまう...
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、 万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。(ローマの信徒への手紙8章28節)
2021年最後の主日を迎えた。アドベントから始まる教会暦ではまだまだ始まったばかりであるが、西暦では「年末」。ルーテル教会は1月から12月を「1年度」としているので、「年末プラス年度末」となり、「クリスマスの忙しさが終わったばかりなのに…」とボヤキながら毎年まとめの作業に取り掛かる。そして今年もそ...
しかし、必要なことはただ一つだけである。(ルカによる福音書10章42節)
「おめでとう、恵まれた方(マリア)!」、天使が告げるこの言葉から、子どもたちが演じてくれる降誕劇は始まる。この天使の名前はガブリエル。これより少し前、ガブリエル天使は、祭司ザカリアが聖所で香を焚(た)く務め(生涯に一度だけ)の時にも現れ、「妻エリザベトに子どもが生まれること、その子の名前をヨハネ...